レイヤーとろう染めの話
ひっさしぶりのblog...なんか、ついつい三日坊主になってしまうね。。。
さてさて、今回は先日、陶芸家の某先輩と雑談をしてて、その考えって僕の作品の根幹をついてるんじゃないの~!って言われてなんとなく分かったこと。。。
僕は昔、ろう染め(ろうけつ染め)を技法を使って作品をつくっていました。
ろう染めは、ろうを置いた(ろうで描いた)部分が防染されて染まりません。例えば一番薄い色からスタートし、ろうを置き、染め、2番目に濃い色に残したい色(1番目と2番目の混色)の箇所にろうを置きます。この繰り返しで段々と濃い色へと染めていきます。
大雑把な説明で、ろう染めには、もっと他のテクニックも存在しますが、基本的にはこうした、薄い色から濃い色へ、一色ずつレイヤーのように染めていきます。
これが、徐々に僕の中でもっとレイヤーを増やしたい、5枚、10枚、100枚、いや300枚、、、これだけレイヤーを増やすとどんな複雑な絵柄が描けるのか。。。
初期はろう染めが3枚レイヤー、PCが5枚レイヤーくらい、、、これが、いつのまにかPCのレイヤーが300枚くらいになったのです。
もちろん、ろう染めで300枚レイヤーなんて不可能です。
また、ろう染めは、SDG’sの観点からサスティナブルには向きにくい(ろう染めを否定している訳ではありません)、、、っとある時ふと思い、より最新のデジタルディバイスに可能性を感じるようになりました。
例えば、液晶タブレットが、ろう染めのような僕の手の動き(身体性)をより拡張できることに気づきました。
また、他方でボールペンのカリカリ感、墨の香り・未だ液晶タブレットで表現できない手の手の動きに対する表情などあるわけで、、、それはもちろん、実物を使い、スキャニングしてPCに取り込みます。
こうして、僕の作品はボールペンや墨、いろんな画材をつかって描いたものをスキャンしてPCに取り込んだり、写真等をPC上で加工したり、液晶タブレットでPC上で描いたり、様々なものがレイヤーとなって複雑に重なっています。
デザインに詳しい方なら分かると思いますが、そこそこハイスペックなPCをつかっても、300枚以上のレイヤーを使ったらPCはフリーズしてしまいます。
ですから、僕の場合は、何十枚がレイヤーが重なれば圧縮し、また何十枚か重なれば圧縮する繰り返しで、レイヤーの総数を減らしています。
こうした様々な要素のレイヤーの重なりは、PC上で行われるものの、実は、原点は「ろう染め」からきている考え方なのです。
つまり、ろうを使わない、「ハイスペックろう染め」とでも名付けましょうか。。。
(※正式にデジタル捺染といわれる場合もあります)
僕の頭の中では、こうしてデジタルとアナログの差もなく(そこを重視していない)、シームレスにつながっています(なだらかにつながっている)。
僕は「ポストデジタル」と勝手に言ってますが。。。
作品詳細:前川多仁 「龍鳳呈祥」 MKWPN044pakupakuan.shop
身体性の拡張については、とても長くなるのでまた
の機会に。。。
っという事で、久々のblogでした。。。
コロナでこんなアパレル不況の時期に宣言してみたっ☆
ちょっと久々のblogになってしまいました。。。
すみませんです。。。
なんて思ってたら今年ももうちょっと。。。コロナ禍に振り回され、また個人的にも、ちょうどたくさんの出来事が重なってしまい、、、あっという間に今年もおしまいです。。。
んで、、、ご存じのように、アパレル・ファッションや繊維業界は何年も前から徐々に勢いを失いつつあり、いよいよコロナ禍によってその波が急速に加速しました。
他方でユニクロ・GUとワークマンといった、機能性を重視した新しいテクノロジーとファッション性が融合した新たなファッションが展開し、いまやアパレル業界はこの2強のぶっちぎりといったとこでしょうか。
もちろん、ユニクロ・GU、ワークマンのデザイン性もすばらしく、とくにUT(ユニクロのTシャツ)なんかは、ただ単にキャラクターや何かのコラボっていうだけでなく、その間に、ええっていうグラフィックデザイナーが加わっていたりもするんです。。。
他にも、例えば ご存じ、JW ANDERSONとのコラボとか、このデザイン性・品質・クオリティーで、、、この価格って。。。やばいね。。。
すんげえね、、、僕らテキスタイルに関わる人間として、どう転んだって勝てねえよ。。。
まっ、だから僕は全くちがう逆の視点から攻めるけど。。。ってか攻めてるつもりだけど。。。
とは言え、、、しかしながら、業界全体として、やっぱりアパレル・ファッションや繊維業界はコロナ禍でより一層、厳しい状況な訳で。。。
倒産、廃業、事業縮小、、、、周りでもこんな事ばっかり耳に入ってくるんだな。。。
もちろん、こんな状況でも上手くやってて、バリバリのゴリゴリんとこも一部あるけどね。
まぁ、業界を大雑把にみてっと言うところで。。。
そんで、ここからは僕の考え方なので、誰しもそうは思わなくていいし、僕の考えを押しつけるものは無いです。
僕は説明するまでもなく、染織工芸を出自とした美術、広く言えばアート(ここでは美術/アート議論は話がそれるのであえて割愛)をしている訳で、その活動の中で、プロダクトとして茶道具をはじめ、テディベアやポーチなどもつくっています。
僕は作品を、仕事をする上での便宜上、また価格設定の問題、制作する個数の基準、自分自身の気持ちを切り替えやすくするためなど、アートワークとプロダクトに分けてつくっています。
(※アートワークとプロダクトの分け方は、あくまで僕自身の基準です。一般的な基準や定義でもありません。)
もちろんアートワークは1点しか制作しないし、価格も高くなります。どちらかと言えば、鑑賞用のいわゆる美術作品に近いものになります。
対してプロダクトは数点作ります。とは言え、僕の資本力ではほんの数点。数点といっても1点ではないので、もちろん価格も若干ですがアートワークより安くなります。
プロダクトと言っても僕の場合は、一般の製品に比べると、染めにかかる費用や製法の違い、ロット(個数)が比べものにないくらい少ない事など様々な理由から圧倒的に価格は高くなりますが。。。
簡単に言うと100均の器と作家ものの器の違いみたいな感じかな。。。
とにかくこのように、便宜上、アートワークとプロダクトと分けてはいるものの、例えばテディベアの作品のように柄行きや生地のチョイスでプロダクトなのに1個しかないものもあり、アートワークとプロダクトの中間のような作品もあります。
テディベアの作品は下記の「ギャラリー白白庵ECサイト」よりご覧・ご購入いただけます。
前川多仁「廷帝部亜」シリーズ Teddy bears by MAEKAWA Kazuhitopakupakuan.shop
ほかにもプロダクトにおいて、柄行きで1個しか無いものはとても多くあります。
仕事やビジネスといったら、なんかアートの業界では日本ではまだまだ嫌な感じが抜けませんが、僕は仕事・ビジネスをする上で、アートワークとプロダクトをわけておいた方が便利なんです。
つまり、一定の基準が付けやすいという面において。。。
しかしながら、僕の究極の考えにおいてアートワークとプロダクトの明確な定義は無いし、境界線すらありません。
それらはシームレス(なだらかに境界線も無く)つながっていて、広義な意味においてすべてアートなんです。
これを話だすと、またとても長くなりので別の機会に。。。
そして話は戻り、なにが言いたいかと。。。
いまやアパレル・ファッションや繊維業界は疲弊しまくっています。。。
でも、僕が染織工芸という分野に興味をもったのは、まぎれもなく、キラキラした華やかな、そして眩く、美しく、ランウエイをすらすらと歩くモデルたちの姿を毎週のように「ファッション通信」という番組でワクワクしながら釘付けになって観ていたからです。
いつか僕もあんな世界を表現してみたいと。。。
アートワークとプロダクトが究極的な考えとして境界がない僕にとっては、プロダクトもファッションも、すべてアートなんです!!!
ファッションはただただ機能的に消費だけされるものではないんです。
アートであり、デザイナーや職人たちの熱い思いがあり、哲学であり。。。なによりあの時のワクワクがあるんです!!!
こんな疲弊した時期にこそ、あのワクワクを取り戻したいんです!!!
きっと、STAY HOME でおしゃれをする機会も少なくなったでしょう。
パーティーや人が多く集まる場で着飾る事も少なくなったかも知れません。
でも、こんな時期だからこそ、ファッションという、自分自身が輝けるワクワクするアートを忘れてはいけないし、なんだか上手くいえないけど、今だからこそ、文化としてって言ったら大袈裟だけど、、、人が人らしく生きるために、とっても必要な気がするんです。!!!
なので、ちょびっと宣言します!!!
来年はファッションプロダクト、新たな展開も含めてもっと充実させていきまっす!!!
そのファッションプロダクトでみんなをワクワクさせます!!!
っても、僕も個人という小規模経営で弱小資本力ですので、もちろんユニクロ・GUやワークマンと闘うつもりでもなく、、、むしろ、僕のデザイン買ってくんね~かね~、、、ちびちびと、、、出来る範囲からのスタートで。。。(いきなりの弱気宣言でスミマセン。。。)
とりあえずは、あっ、またなんかちょっとやる気になり始めたか、、、ってくらいの気持ちで見守っててください。。。
では、ぐあむぶあるむあすう~!!!!!!
※宣伝のようで恐縮ですが、現在のところ作品をご覧・ご購入いただきたい方は、僕個人宛ではなく、下記のギャラリー白白庵ECサイト、もしくはギャラリ-白白庵までお問い合わせください。
HAL9000と神なるもの☆
今日も、サラッと、っというか、いつものようにつらつら、ダラダラと書き流す程度で。。。
ご存知の方もおられるかとおもいますが、HAL9000というのは映画「2001年宇宙の旅」に登場する、すべての機能や未来までも予想し、それに向けて全てを動かそうとする人工知能、つまり今でいうAIです。
僕はキューブリックの映画に若い頃あまりの衝撃に、一時期ズッポリとハマり、まぁ、おそらく美術系大学生なら、たいてい通るだろう「時計仕掛けのオレンジ」の沼から抜けられなくなり、、、っという感じで。。。
そして、同様に「2001年宇宙の旅」もそれなりにズボッと。。。
ってか、当時は「2001年宇宙の旅」はストーリーより画像や宇宙船、その機械、映画に出てくくるシーンに使われる大道具・小道具のデザイン・画面構成の美しさ、あえて電子音楽でなくクラシック音楽を使っている画像との同調の気持ちよさ、、、、などなど、、、そうしたところの方に関心が向いていましたが。。。
さてさて、、、何度かやんわりと(本格的にガツンとは書いていませんが。。。)機会があれば書いてきましたが、僕は「神なるもの」、またのその世界、そこへの願い、祈り、希望、救い、、、などなどのようなことを大きなテーマと据えて(っというか自然とそうなった訳ですが。。。)、ものづくりしています。。。
このことのについては、きちんと書くと、とっても長くなるので、またいつか。。。
ただ、少し前になってしまうので、当時と若干の考え方が変化っというか進化していますが、博士論文で執筆した『現代における「キッチュ」の再評価』という論文でなんとなく」イメージはつかめますので、興味がある方はぜひご一読ください。
国立国会図書館にありますので、申請いただければ、全国どこの図書館でも閲覧可能です。
念のため、下記リンクを貼ってるおきます。
現代における「キッチュ」の再評価 ([前川多仁]): 2011|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
また、最近ではギャラリー白白庵のECサイトでの特集コレクション「現代の依り代、廷帝部亜(テディベア)でも、ちょこっと触れていますので、ご一読いただければ、何となく輪郭が掴めるかもと思います。
こちらも下記リンク貼っておきます。
(※こちらは英訳もあります)
そして、HAL9000に戻るわけですが、、、ズバリ、Google HomeとかのスマートスピーカーやSiriみたいな、、、そんなんのAIのすんげえぇ進化Ver.みたいんなん。。。
前にも少し触れたと思うけど、AIの研究者によれば、AIのディープラーニングはもはや、どうやってディープラーニングしているのか、人間の脳では解析・計算・理解できない領域まできているらしい。。。
うん、、、よく考えれば、そりゃ、そうでしょう。。。
例えば、人間は車という機械を発明しました。
それがどんどん進化し、F1では時速370km以上で走ることができるんです。。。
どう頑張ったって、人間の足の能力を超え、追いつくことなんかできませんよね。。。
同様にAIが、人間の脳の計算スピードや機能の限界を超えるのは当たり前で、人間がAIがどうディープラーニングしているかなんて、もはや理解できるはずがないんです。。。
極論、脳も電気信号ですから。。。
さて、、、僕、キューブリックの「2001年宇宙の旅」でHAL9000がどうした答えを出して、映画がどんなエンディングだったのか、、、正直、さっき書いたみたいにストーリーを全く気にして見ていなかったので、全然覚えてないんだけど、、、、。
それでもなんとなく覚えてるのがHAL9000はある種の「神なるもの」としての存在だったような。。。
他方でなんか、ターミネーターみたいに、AIが暴走して人間を襲ってAIが人間の上位に立ったり、人間Vs.AIみたいな図式の未来が、、、って恐れてる声もちょくちょく煽られたり、耳にしたりするよね。。。
でもなんだろ、、、僕ね、そんな危機感、全く感じへんねんけど、、、人知を超えたAIやテクノロジーは逆に自然と融和・調和していく、、、というかテクノロジーと自然の境界線なんかなく、ほぼグレーなんです。。。
自然⇆テクノロジー、デジタル⇆アナログ、、、とかいういう二項対立なんか最初から存在しないんです。。。
んんん、、、いつも僕は言ってるけど、、、そもそもデジタルとアナログの区別は無かったという、そういう立場を僕はとってる訳であって。。。
なんか、だんだん、訳わからんくなってきたかも知らへんけど、、、んんん、、、ズバリ、分かりやすく言うと、AIがさらに究極的に進化すれば、自然と調和したVer.のHAL9000みたいなAIの「神なるもの」がもうすぐ、生まれてくるかもしれない、、、ってか、すでに、ある意味では生まれてるんだな。。。
それも、ちゃんと広い意味での鎮守の森に囲まれてね。。。
だから、HAL9000を「神なるもの」として依り代にするのも、ごくごく自然な流れなんだよなぁ。。。
っということで、今回はこの作品をあげて終わりにしたいと思いますっ!
僕の希望の地、天上界への入り口を描いてみました。。。
○作品のお問合せはギャラリ白白庵まで。
白白庵 PAKUPAKUAN | Art Crafts JAPANESE HYBRID ART
○作品はギャラリー白白庵ECサイトにてご覧・ご購入いただけます。
前川多仁 「天上門」 MKWPN015 – 白白庵 PAKUPAKUAN
サブスクでもええかなぁ〜なんて。。。☆
僕は、本当は、車も好きだし、そこ知れぬ物欲野郎なんだけど、、、。
先日、とある諸事情で膨大にあったアナログレコード のコレクションのほとんどを業者に引取ってもらい、、、いわゆる、、、断捨離?みたいな。。。そんな感じの事をしたわけで。。。
そしたら、なんか、まあ、もったいなぁ〜って思いや、ちょこっと寂しいなぁ〜なんで思いが未だにあるものの、心のちょこっと端っこに、なんだか、ん〜まぁええかぁ、すっきりしたし、もし明日、死んだらこのレコードの価値、分かる人おらんし、捨てられるだけかもなぁ。。。みたいな感もあり、なんか裏腹な気分なわけなんですが。。。
(だいぶ早いかもですが…もう終活気分を意識し始めとりますねん。。。笑)
そして、今や映画や音楽、本(専門書は除く)など、、、ほとんどサブスクをフル活用(もちろん、マイナーなやつとかは、ちゃんと現物は置いてあるけど。。。)してる訳です。。。
んんん、、、なんか、、、映画館やレコード屋さん、マニアックな本屋さんなんかに入り浸っってたから、、、少し寂しい感も無きにしも非ず、、、なんですが。。。
そして、サブスクなんて。。。って思ってたけど、、、やっぱり使いだすと、ちょ〜便利なんですな、、、これが。。。
いつでも、どこでも、、、ドラえもん4次元ポケット状態ですな。。。
もちろん、コスパも考えるとちょ〜お得な訳で。。。
ただ、サブスクなんで、自分の持ち物でもなく、いつ配信が止められるか分からないし、サービスの絶対的権限も先方にあります。。。
それに、例えば音楽の場合だと、ちょ〜好きなバンドの音源も必ずある訳ではありません。。。
にしても、おおよそのところ、コスパからして、たいていの満足度は満たされるのです。
ただね、、、なんだか、、、ジャケットみて想像したりドキドキしたり、レコード屋さんの担当者さんのコメント読んで、レコード屋さんに通い詰めてちょ~勉強したり、、、レーベル調べて、レーベルからこんなんかな~とか想像したりとか、、、ああいう、なんちゅう今からしたらか無駄っぽいのも、よかったなぁ~なんて思ったり。。。
とは言っても、僕は全くもってノスタルジーおじさんにはなるつもりもなく、、、最新テクノロジーはゴリゴリと取り入れいていく派ではありますが。。。
っというより、あたらしいテクノロジーにも、過去に経験したような想像やドキドキしたりする事が同様にあるのです。
それに、今までに無かった、あたらしい可能性もきっとこれからボコボコと現れてくると思います。。。
つまり、、、究極的にいうと、ノスタルジーと最新テクノロジー、もしくは未来との時空の境目はいつも揺らいでいて、はっきりしていない、グレーなんです。。。
んんん。。。すみません、、、、ちょっと難しくなっちゃいました。。。。
また、いつか詳しくblogにて。。。
そしてそして、、、本題、、、僕の車もまだまだ現役バリバリなんですが、、、最近思うんです。。。
よく、CMなんかでもやってますよね車のサブスク、、、。
ほんとは、車も好きで、新車も旧車も大好きなんですが、、、。
全くメンテナンスもしない僕にとって、、、車という物欲のヒエラルキーの上層に存在するものですら、、、物欲ゴリゴリだった僕なんだけど、、、もう、サブスクでもええかなぁ〜なんて、、、最近ちょこっと思ってしもしてるんです。。。
でも、なんだろ。。。これ、まだ詳しく調べてないけど、、、車のサブスクって、いろいろ込み込みとして考えても、、、案外、高いよね。。。
サブスクって言う時代の流れに乗った自動車メーカーのトラップなのかな???
どっちにせよ、まだ分からんけど、、、こういうの、どんどん増えてくるんだろうね。。。
所有から、共有という時代へと。。。
他方で、、、情報化しにくい物質的な「もの」がアフター コロナ・ウイズ コロナの時代にどう共有されていくか。。。サブスクとして機能するのだろうか、、、これが今後、どう動いていくのか楽しみなところでもあるのです。。。
実際に触れる事ができるホログラムみたくなったりするのかな〜、、、楽しみな未来だな。。。
ちなみにアートのサブスクもあるけどね。。。
ただ、、、僕の考えとして、、、アートってのは特殊な性質をもってるのでね。。。
まぁ、アートという分野は、なかなかサブスクになかなか当てはまりにくい分野だろうと思ってるんだけど。。。
っというこで、そうした意味も込めて、、、今回はこちらの作品をあげておわりにしたいと思いますっ!
(前にもあげたかな???)
○作品のお問い合わせは下記ギャラリー白白庵まで
白白庵 PAKUPAKUAN | Art Crafts JAPANESE HYBRID ART
○作品は下記ギャラリー白白庵ECサイトにてもご覧・ご購入いただけます。
前川多仁 「色即是空」 MKWPN004 – 白白庵 PAKUPAKUAN
初心者介護録☆いやいや、僕そんな頑張ってね~し。。。
またまた介護録をついつい。。。失礼。。。
まあ、こんな事を書くと我がファミリーの恥っというか、こんな事までさらけ出していいのかって思われるかも知れません。。。
さらに、、、僕の介護老人オカンを介護しているエリアは、いわゆる典型的な田舎。。。
良くも悪くも、田舎特有のコミュニティーというか、つき合い、ネットより早いのかってくらいの噂の広がり方、慣習、などなど、、、他方、もちろん、田舎特有の顔見知りのつき合いのよさ、安心感、ネットワーク、助け合い精神、隣の家に醤油を借りに行けるちょうどよい深さのつながり、、、など、良い面もある事は確かです。
ですので、僕は田舎の善し悪しにここで触れるつもりは全くありませんし、否定も肯定もしません。。。
ただ、こうしたファミリーの事を公開すると、少なからず、ご近所さんネットワークで噂になり、良くも悪くも拡張され、広がっていくでしょう。
まあ、それも覚悟で書くわけで。。。それはそれでいいでしょう。。。
皆さんに、少しでも現実を知ってもらい、それが誰かの救いや希望になれば、、、、、そして、何となく暗いて嫌〜なイメージの介護の分野に、「あるある!」っていう笑いや楽しさ、などなど、そう言うものがちょっとでも見出すことができ、この今、辛いと思っている方々と共有できれば、それだけで僕はよいのですから。。。
さてさて、いつもながら前置きが長くなりましたが、、、。
本題に入りましょう。。。
いよいよ本格的介護生活も約3ヶ月目に突入します。。。
いわゆる、この業界のマニュアルでは、介護する側がこの時期あたりに潰れてしまったり、なにかしら疲れやトラブル的な事が生ずるとされます。。。
その原因は、ずばり「介護、頑張りすぎ』。
ではでは、我がファミリーではいかほどに。。。
そう、ちょっとしたきっかけや、なんやかんやで、気持ちのズレのようなものが生じ、ちっさな誤解、介護への思いに対する悟しあいのような事がちょっとありました。。。
まあ、仲が良いからこそ、お互いを信頼しているからこそ言えることでもあるんですが。。。
といっても、こういう事はどこの介護ファミリーでもよくあることでしょう。
なので、僕は今回はそこを問題にはしませんね。
そこはサラッととばして。。。
そして、そうした僕らをいつも親身になって寄り添ってくれはるソーシャルワーカー(ケアマネさん)さんにある日、言われたんです。
あっ、このソーシャルワーカーさん、僕たちはラッキーな事に、ほんっっっっっといい方で、僕たちも全面的に信頼してるし、いつも親身になって、僕の介護老人オカンのことはもちろんのこと、僕たちファミリーのこと、また、周りのあらゆる介護システムの手配や相談、そして何より、僕たちの心のよりどころでもあるのです。。。
このソーシャルワーカーさんがいなければ、正直、僕たちの初心者介護生活は成り立たなかったでしょう。。。
そして、これからもこのソーシャルワーカーさんと共に僕は介護生活という人生の一部を共有したいとも思える、それほど僕にとって重要な絶対の信頼をおいている方なんです。
むしろ、絶対的信頼があるからこそ、このblogでの僕の思いが伝わると信じています。
(※いちおう、このblogもこう言う内容を書いて良いか、ご本人に確認しております。。。)
だから、全く悪く書くつもりでもなく、人を批判、否定するわけではないです。
そこだけは誤解のないよう、お願いします。。。
ここから書くことはあくまで、介護という業界のある一面でのマニュアル化されてしまった事に対しての僕の思いです。。。
ちょっとしたトラブル的な事があった日、ソーワーカーさん、また、その他、僕らの介護に関わったてくださる多くの方々に、「前川さん、、、前川さんも、弟さんも、ちょっと介護、頑張り過ぎなんじゃないですか?」的な事を何回か言われました。。。
もちろん、これらは、僕らを良い方向に持っていこうという思いから、つまり善意から生まれた言葉であり、とてもありがたい事なんです。
だから、誰1人として、責めることも無しい、むしろ感謝をしています。
でも、ちょ〜ひねくれ者の僕の中に心に潜むダーク前川は、こんな事を想ってました。。。
あっ、きた~、きたよ〜、、これこれ介護マニュアルによくあるやつ~!!!
この介護始めて3ヶ月くらいの時期に介護者をレスパイト(休息とか休養とか、そんな感じの意味かな)させましょうっていうマニュアル〜!!!
だいたいそれくらいの時間に、介護疲れ、介護者が潰れるとか。。。
例えばそれが介護者の体調不良や精神的な不調、DVとかにつながる、逆に自虐的になる、などなど、、、
たいていのマニュアルでは。。。
ふ〜ん。。。マニュアル。。。
マニュアル。。。
マニュアル???
ってか、マニュアル???
介護で対象にしているのは人間だよね???
人間ほど多様性に満ちた生き物ってなかなか珍しいよね???
そんな多様性に満ちた生き物を、誰でも使えるように画一化されたマニュアルというものだけで決めてしまっていいのかな???
マニュアルって言うのは、つまり、大多数の人や行動や物のおおよその平均値もしくは中央値を基準としてつくられるからこそ、多くの人にとって扱いやすい教科書になる訳で。。。
ただし、もちろん、大多数の基準に応用できるので、基本として身につけておく、知っておくという事は、それぞれの職や道のプロの方々にとっては、もちろん大前提であるでしょう。
全ての基本ですから。。。
しかし、これを盲信してしまうとどうでしょうか???
僕は過去に障がい者施設で数年、働きながらアート活動をしていた時期がありました。
もちろん、そこでもいわゆる介護マニュアルが存在していて、変だなぁ〜って、思うマニュアルはいろいろとありました。。。
沢山書くとキリが無いので、一つだけ。。。
例えば、利用者さん(障がい者の方)の名前を呼ぶ時、1人の成人として扱うことを尊重し◯◯さんと「さん」付けで呼びなさい。っというマニュアルがありました。
今でもあるのかな???
確かに、マニュアルの言っている意味や人間としての尊敬を守ろうという姿勢は理解できます。。。
では実際、現場では、どうか。。。
実際に現場で、働いてみるとすぐに分かると思います。。。
生徒と先生のような関係で特別支援学校の延長の関係性を保った方が良い方。
先輩と後輩みたいな関係性をとった方かいい方。
◯◯ちゃん、◯◯くん、のようにある程度の親近感を持って接した方かいい方。
あだ名で呼び合い、友だち関係みたいな関係を築いた方がいい方。
自分よりも大人で敬語をきちんと使い、ある程度の距離を保った方がいい方。
自分より随分年上でも、友だちのように接した方がいい方。
ほんと、あげるとこれもキリがありません。。。
「◯◯さんと呼びなさい」だけじゃ、こんなに多様性のある人という存在を相手に対応なんてできない、むしろしてはいけない、そのマニュアル通りに行動する事が、どれだけ危険性を孕んでいるか。。。
そう、少しは気付いていただけたと思います。
マニュアルは基本として知っておく事は大前提です。
しかしながら盲信してまう事で、底知れぬ、下手をすれば人命にも関わりかねない危険性を孕んでいるという事を、介護に関わる方々すべてに理解してほしいのです。。。
※しかしながら、こうした沢山の介護に関わる方々のおかげで、僕の介護生活は成り立ち、日々の生活が送れていることに間違いないはありません。
僕は決してこの職種に携わる方々を非難や否定しているのではく、感謝を持った上で、人ではなくマニュアル主義化された介護システム。。。また人間性というものを基準にする訳ではなく、マニュアル的教科書をクリアして資格を取らねば昇格できないという介護労働システムに、一度、疑問をもってみてほしいということです。
さて、話は、また戻って、それで、「僕って頑張ってるっけ???」
まぁ、そりゃ、確かに24時間×毎日という介護なので、時間的な拘束は増えました。。。
事実として時間的な余裕は随分と無くなりました。。。
もちろん時間が無くなると、焦りやイライラする時もある事はあります。
でも、後に詳しく書きますが、時間の拘束に耐える=介護めっちゃ頑張る に必ずしもつがるとは僕は考えていないのです。
あくまで、それは介護のごく一部の一面の要素の過ぎないと、、、。
それに、その受け止め方は、人や状況、背景、置かれたそれぞれの人々の関係性なとなどによって、様々です。
同じ人であっても、状況が変われば受け止め方も変わってきます。。。
って事で。。。。。。
そもそも、おそらく、ソーシャルワーカーさんやその周りの方々が、ちょっと勘違い?と言ったら失礼だな。。。僕の考えと、「頑張り」に対して感覚のズレがあるかもなって思うんです。
なので、介護老人オカンの部屋は最新のテクノロジーで埋め尽くされているのです。。。
もちろん、遠隔操作可能なカメラなんて初歩段階。。。
Google Homeなんてまず基本。
さまざまものがIoT化されており、遠隔からもちょ〜便利。
遠隔操作カメラもあり、プラスさらにiPadでFaceTimeで繋げてると、それで確認しながらハラハラ心配したりする事もく、自由にちょっととした買い物や仕事にでれる、つまり、長時間でなければ安心と同時に自由に動く時間も手にはいります。
そして、いざとなれば、多少のことならIoTの恩恵で遠隔操作で対応できることもある。。。
また、うちの介護老人オカンは、さまざまな病気も抱えており、血圧、体温など基本的なバイタル情報より、もっと膨大な種類のバイタルを毎日複数回も管理しなければいけません。
それも、いつも病院の先生に大変ですね、、、的に労ってもらえるんですが、、、実はiPadでアプリダウンロードしてるので、僕にしたら、ちょ〜簡単、、、ちょちょっと入力して、1分くらいで済むことで、、、後はアプリが勝手にグラフにしたり、表にしたり、危険値近いところは自動でアラート色になるし。。。
しかも、自動でグラフ化、つまり分かりやすく可視化されるので、この3か月の間だけでも、全くの素人の僕たちですら、いろんな体調の傾向や原因などがなんとなくですが読めたり、予測する事もおおよそ出来るようになってきたのです。。。
あと、例えば薬の飲み忘れにしても、リマインダー設定してるので、忘れてたら勝手に教えてくれるし。。。
TVだって、Netflix、Amazonプライム、YouTube、なんでも好きなもんいつだって、介護老人オカンのみたいのみれるし。。。
もし、何かの介助しながらで、人手がなくて手が離せなくても、Google Homeで音声だけで操作もでる。。。
音声だけで、「TVをつけて、YouTubeで坂本冬美の(介護老人オカンが大ファンなの)コンサートをかけて」って言えば、手が離せなくても、自動でTVつけて流しているという。。。
それに、例えば、洗濯をしないといけなと仮定しよう。
(我が家は昔の京都の町屋のようなつくりのため、縦長の家なので、洗濯機まで結構な距離があるんです。。。)
もし、これらテクノロジーがない時代なら、介護老人オカンが、昼寝に入った瞬間を狙って、ハラハラしながら、洗濯機を回し、そして、また、次の睡眠のタイミングを狙って洗濯物を、ちょ〜忙いで、それもハラハラしながら干さなけれならなかったかもしれません。
しかしながら、これだけのテクノロジーが揃っていると、介護老人オカンが寝ている時は、遠隔操作カメラを、たま~にチェック、もし体調悪くて心配な日なら、念のためiPadを近くにおいて、追加でFaceTimeも繋げながら、それもたま~に確認する程度で、ちょ~余裕ぶっこきながら洗濯できるのです。。。
もし、介護老人オカンが起きていたなら、好きなYouTubeでも、見ててもらって、「ちょっと洗濯物してくるね〜って」言って、ちょ〜余裕ぶっこいて、もし、心配なら、ちょこっと遠隔操作カメラで確認もでき、安心しながら洗濯できるのてす。。。
介護老人オカンが、寝てようが、起きてようが、こちらのタイミング行動がでる。。。
つまり、介護者の時間やタイミングの選択肢が増えるのです。。。
選択肢の幅が増える事、すなわち自由度が増えるのです。
なんだろ、、、上手くテクノロジーを利用すれば、自分の時間もある程度は自由をきかせながら両立しなから介護生活できちゃうんです。。。
しかも、こんなテクノロジー大好き兄弟なので、何か新しいものを発見すると、これ介護にうまく利用出来へんかな〜って考えてたら、楽しくてしょうがないのです。。。
んっ、楽しやんな。。。
いろいろそんなん、考えるのん、、、せやんな、、、
えっ、あれ???、、、楽しいって、、、それ、、、べつに、僕、そんな頑張ってへんけど???
まだまだ介護初心者やから言えるんかも、知らないかもやけどね。。。
そして、こここら最も大事なこと。。。
もちろん、このblogを読まれてると言う事は、ご存知だと思いますが、僕は作家、まぁ俗に言うアーティスト(未だに、ちょい自分で言うと照れますが。。。)つまり、フリーランスという職業。。。
これ、フリーランスや自由業の方なら、あるあるやと思うんですが、正直、ちっさな仕事を含めると、この十数年間、正直、1日も休んだことはありません(広い意味で)。。。
まったく何もしない日があると、とんでもない罪悪感のようなものに責め立てられるんですよね。。。うん。。。
わあっ、今日、なんも、1ミリも先に進んでへんやん、、、成長してへんやん、、、みたいな。。。
そんな毎日の中、本格介護生活が始まり、、、もちろん毎日では無いですが、丸一日中、介護をしなければいけない日も多いわけで。。。
普通なら、きっと、大変やろうなぁ〜って思われるだろうけど。。。
たしかに、前述したように、僕の仕事のペースで一日拘束されることは大変です。
そして、介護の中でも、介護老人オカンの調子の良い日もあれば悪い日もあり、悪い日なんか、やっぱ大変な事はあるのは事実。。。
でも、そういうところより、もっとなんちゅうか深いところで僕に大きな変化があったのです。
それは、、、介護老人オカンの部屋では時間の流れが全く違うんです。
わかりやすく例えると、なんか昔、25年以上前にバックパッカーでインドを旅して、なんかだか、日本みたいに、キチキチのスピードで流れる時間と違って、ゆったりと朝昼夜くらいの程度でええやんくらいの時間のゆっくりスピード感というか。。。
上手く言えないけど、とにかく時間に追われるセカセカした感じにならないのです。。。
今のインドはIT大国になったので、ちょっとしばらく行ってないので分からないけど。。。
とにかく、介護老人オカンの部屋でも、似たような時間モードに切り替わってしまうのです。。。
自分の部屋やアトリエなら、まずPC開いて、、、なにかゴソゴソと。。。
って言うペースが当たり前なんですが。。。
さすがに仕事に追われている時は、介護老人オカンの部屋でも、PC開いて必死こいて仕事してますが、、、。
それでも、追われない時は、今日は仕事頑張る〜ってPCを持ち込んでも、全くのスローモードってか、ほぼPC開いてるだけ状態。。。スミマセン。。。新作や別注品をお待たせしてる方々。。。
なんだか、介護老人オカンのベッドのそばで、椅子に座りながら、いつの間にか眠りに落ち、、、そして逆に介護老人オカンに起こされたり。。。
なんか、ヨガとかやったり。。。
前のblogにも書きましたが、好きな音楽かけたり。。。
介護老人オカンから、演歌という世界を知り、浪曲というすごい日本語の文化を知ることができたり。。。
介護老人オカンと一緒に映画やYouTubeみ観たり。。。
介護老人オカンが寝てる間に、観たかった映画やドラマ観たり、読書したり、、、
最近なんかは、ヨガから進展し、瞑想なんかにすっかりはまって昼間っから瞑想したり。。。
また、寝静まってる介護老人オカンを横に介護なのに、「DEATH」とか言いまくってるデスメタルとかかけまくり。。。また一人ポスト・メタル祭、繰り広げたり。。。
んっ、、、これって、案外、介護老人オカンの部屋で僕、普段の生活からレスパイトしてるんちゃうん。。。
えっ、、って、ことは、、、僕、そんな頑張ってへんけど。。。
うん、どう考えても、僕、そんな言われるほど頑張ってへんのです。。。
しかしながら、もっとも恐ろしいのは、無自覚のうちに「頑張り過ぎ」ているという事。
「頑張り過ぎ」という事に自分で気づかず、良かれと思って、どんどん過剰に無自覚に介護しすぎてしまうこと。。。
でも、、、ど〜考えても、僕、それには当てはまんないよね。。。
この状況。。。
たしかに時間、拘束されるし、身動き取れへん時あるし、大変な事もあるけど。。。
「大変=介護、頑張る!」とは、ちょっと違うと思うんです。。。僕。。。
これは、あくまで、一面であったり、状況や人によって様々やと思うんです。。。
そう、ズバリ!!! 僕そんな頑張ってね〜し!!!
「前川さん、頑張り過ぎじゃないですか?」って。。。
えっ、いやいや、介護マニュアルに縛られてね???
「前川多仁の取り扱い説明書」って言うマニュアルじゃなくて、あなたの目の前にいる「前川多仁」本人を、ちょっとでものぞいて見ようとしませんか?
そしてそして、、、我がファミリーのトラブル的な事の原因はそんな単純な一言『介護の頑張り過ぎ!』でもなく、もっと複合的なものであって、それにもっと違う所に原因があり、まったくの的外れでもあるのです。。。
今回の介護blog、ほのぼの介護話でなくてスミマセン。。。
最後に、、、これは、あくまで僕の場合での話です。
世の中に介護をする上で、レスパイトを必要とする方は沢山おられます。
また僕自身もいつ、レスパイトが必要になるか分かりません。
このblogも、まだまだ介護初心者だから言える事かもしれません。
このblogは、決してレスパイトする事を否定している訳ではないので、くれぐれも誤解のないように。
また、僕なんかの意見より、ソーシャルワーカーさんや、介護に携わるプロの方々の見解や意見の方が正しいと思います。。。
あくまで、僕の話は介護初心者の一つの思いとして。。。
そして、介護素人の僕が介護業界の方々に対し、でかい口たたいてスミマセン。。。
でも、どうしても、、、言わなあかんと思った僕の思いをご理解ください。。。
そして、僕たちを日々支えてくれる、また世界中のソーシャルワーカーさんや、介護に携わる全ての方々に感謝の意をこめて。。。
この作品をあげて終わりにしたいと思いますます。
◯作品のお問い合わせはギャラリー白白庵まで
白白庵 PAKUPAKUAN | Art Crafts JAPANESE HYBRID ART
◯作品は下記のギャラリー白白庵ECサイトにて、ご覧・ご購入も可能です。細部やディティールなども確認できますので、是非、ご覧ください。
前川多仁 「君は神使」 MKWPN013 – 白白庵 PAKUPAKUAN
うちのアクアリウム、8Kでいいんじゃね?
どちらかと言えば、虫は大嫌いだし、、、太陽の日差しはちょ~苦手、、、庭いじりや家庭菜園というにも、ほぼってか、まったく興味も無く、、、完全なるインドア派の僕ですが。。。
でも案外、超絶な自然は大好きだったり、、、無限の夜空とか、、、壮大な滝とか、、、夜の神秘的な山とか森とか、、、でっかい木がいっぱいある森とか、、、、なんとなく焚き火とか、、、死ぬまでにオーロラ見てみたいとか。。。
そんな、いまいち自分でもよく分からん、自然好きなんかどうなんか分からん派の僕なんですが。。。
最近ちょっと考える事がありまして。。。
こう見えて、ってどう見えてるのか分かりませんが、僕ってスピリチャル系のものに、何だかはまってしまうのです。。。
最近では、ちょっと本気な方の滝行をやってみようかとか、、、考えてたり。。。
もちろん、、、瞑想もしょっちゅう。。。いろんなパターンをやってみたり。。。
しかしながら、まったくもってチャクラも開かず、、、またニルバーナの領域にもいつまでたっても到達しません。。。
まぁ、僕レベルのちょ〜甘々な修行では、もちろん無理でしょう。。。
そんな僕は、睡眠の質レベルをUPさせるべく、寝る1時間くらい前から必ず、アロマを焚くのですが、さらなる癒やしを求め、アクアリウムでもはじめてみようかと。。。
しかし、速攻で大問題発生!!!
僕は超めんどくさがり、、、水槽とか洗うの、僕、ルーズやから絶対に臭くなりそう、、、コケとかムニュムニュしてて触るの気持ち悪そう、、、なんか見たこともない水中生物とか繁殖しそう、、、水槽洗うの、めっちゃ重そう、、、もう、いろいろ想像しただけで、これ絶対無理、、、はい終了〜!!!
一瞬であきらめました。。。
っで、、、とある研究論文によれば、人間の脳は8Kの解像度までモニターが進化すると、写っているものが本物なのか画像なのが判断することができないらしい。
もちろん、人間が何か対象物を認識する場合、視覚だけでなく、5感すべてを使い総合的に認識します。
例えば、アクアリウムの場合、もちろん一番重要なのは視覚でしょう。
次に聴覚。
あとわずかながら嗅覚。
実際には触らないけども、視覚を通じた触覚(視覚として拡張された触覚・・・つまりマイケル・ポラニーのいう暗黙知にちかいような知/触覚)。
※マイケル・ポラニーの暗黙知についついては下記のリンク先を参照
この場合、味覚は省かれてもいいでしょう。。。
そして、その5感に加えて第6感という、とくに僕たち作家なら、おそらく多くの人が感じているであろう、なんというか空気感というか気配というか気とでもいうのだろうか、、、そんなものも実は感じたりもしてるんです。。。
そんな、視覚以外、しかも第6感の存在まで認め語っている僕が言うのも、これまたとっても変な話ですが。。。
うちのアクアリウム、、、8Kで人間の脳が本物か画像か判断できないんだったら、8Kモニターでいいんじゃね???
ここからはあくまで僕の推測です。。。
このわずか数年でデジタル技術はかつて無いスピードで進化しています。
そのスピードはAIにより更に加速し、AIのディープラーニングすら、もはや人間の脳ではどのようにディープラーニングしているのかわからない領域まで進化しています。
このスピードで加速を続けていくならば、人間の8Kレベルの視覚のように、聴覚、臭覚、触覚、味覚もデジタル技術で、人間の脳の認識レベルを超えることも、数年で容易になるでしょう。
なおかつ、第6感という、いわゆる一般には人間や動物の特殊な能力とおもわれている能力ですら、先に触れた、マイケル・ポラニーの暗黙知の考えを適用すれば、デジタル世界にも第6感という感覚を生み出すことが可能なんです。
つまり、暗黙知を適用して考えるならば、デジタル技術に身体性は十分に存在しているし、すでに気づいていないだけで、そのデジタルの身体性を僕たちは「知らず知らず」に使っているのです。
「知らず、知らず」につかっているからこそ、それは身体性からうまれる知、すなわち暗黙知であるのです。
簡単な例をあげれば、スマートフォン。
説明書もほぼ無いに等しいくらい薄いものなのに、しばらく使っていると感覚的に使えてしまいます。
もっと分かりやすく言えば、スマートフォンを3〜5歳児くらいの子どもに渡していると、いつのまにか、感覚的に操作を覚えて、中には好きなアニメや動画を見たりする子どもも出てきます。
誰も説明していないにもかかわらずです。。。
つまり、僕たちや子ども達は、複雑なコンピュータ言語をプログラムしてスマートフォンを動かしているのではなく、感覚的、すなわち身体感覚を活用して動かしているのです。
デジタル技術にも身体性が存在し、暗黙知のようにデジタル空間の中にも人の身体は拡張され、拡張されたデジタル空間の身体から第6感も生じるはずなんです。
これについては、2年前に働いていた大学の研究所で研究ノート(論文の前段階みたいの)で近い事を発表しています。
誰でもPDFで大学のHPから読めるようになっていますので、お時間ある方は是非、ご一読ください。(下記のタイトルをクリックいただきますとリンク先にとびます)
(※ただし、2年前の文章ですので、この分野に関しては、進化のスピードが速いので、そのあたりあらかじめご了承ください)
【武庫川女子大学 生活美学研究所 紀要 第28号より】
「染織工芸におけるコンピュータテクノロジーの可能性ーデジタル技術にみる身体性をめぐってー」
って、ことで、最後の方、少し難しくなっちゃいましたが、、、まあ、とにかくめんどくさがり屋の僕にとって、アクアリウム、もう8Kで脳が本物か画像か判断できないんだったら、8Kモニターでいいんじゃね???
掃除せんでいいし、臭くならへんし、ムニュムニュしたコケ触らんでええし。。。って話でした。。。
っと、スピリチュアル超自然派(自称)の僕が言うのも一見、違和感ありありですが、、、実は逆なんですよねぇ〜。
分かってる人はもう十分に理解できてると思うので、、、またいつかblogにてじっくりお話したいと思います。。。
っという事で、何となく、ほんっとっっっに、深ぁ〜く考えると、この言葉に近いのではないだろうかと、僕なりに解釈したので、この作品を挙げて終わりにしたいと思います。。。
◯作品の問合せはギャラリー白白庵まで。
白白庵 PAKUPAKUAN | Art Crafts JAPANESE HYBRID ART
◯ギャラリー白白庵ECサイトでも、ご覧・ご購入頂けます。
前川多仁 「色即是空」 MKWPN004 – 白白庵 PAKUPAKUAN
僕がお茶道具をつくるわけ☆ファーストコンタクト編☆
僕は帛紗や古帛紗、数寄屋袋、菓子切り入れ、、、などなどお茶道具と言われるプロダクトもつくりますっ。。。
そもそも、僕は茶の湯というものには、実はまったく興味も持っていなかったし、まさか僕がそんな世界に触れる事も考えもしなかったのですが。。。
いちお、今は亡き、中川幸夫さんに電撃的な衝撃を受けて、生け花(いわゆる一般のお教室でしたが。。。)は習ってましたが、、、
っで、そんな僕が、、なんでお茶道具をつくり始めたのかと。。。
きっかけは、案外、単純な出来事で、、、
講談社の週刊モーニングという漫画雑誌に『へうげもの 』という茶の湯の世界の変な人(なんて言うたら怒られるか…)、古田織部を主人公にした漫画が連載してました。
僕は週間モーニングは長いこと読んでなくて、恥ずかしながら『へうげもの 』っていう漫画や、そもそも茶の湯にまったく興味をもってなかった僕は、古田織部すら知らなかったのです。。。
そして、もう10年以上前になるのかな???
当時、漫画『へうげもの 』のスピンオフ企画で、現代のへうげもの(変テコなものみたいな意味かな?すんません、、、専門家の方、、、うまく訳せません。。。)を集結させた、「へうげ十作」という変テコ陶芸家集団がモーニングの編集部のこれまた変テコな担当者さん(まじ怒られるな…)によって集結されてました。。。もちろんのこと、僕は当時、まったく知らず…。。。
そんで、どういう訳か、とある僕の展覧会でのトークイベントの後、その編集者の方がわざわざ来られていて、僕に「陶芸だけじゃなくて、もっと広く茶の湯の面白さを伝えたい」ってのと、「自分たちがやりたいのは、当時の染織の再現や伝統的な染織のリメイクとかじゃなくて、そういうのは、まったく自分たちの求める〈へうげもの 〉なんかじゃないんですっ。もっと今を感じる〈へうげもの〉な染織を求めてるんですっ」って。。。
妙に冷静ながらも、目の奥ではメラメラとした、なんか時代をひっくり返したろうやないかっ!!!みたいな熱さみたいのを感じて、この変な編集者のおっさん(いや、いよいよホンマ怒られるわ。。。)ちょっと信用してみようかなって。。。そう思ったんです。。。
とはいえ、、、心の中で〈へうげもの〉って何???、わけ分からへんねんけど、、、って思いながら聞いてました、、、スミマセン。。。ごめんなさい。。。編集部、Fさん、、、。
僕自身も、染織工芸を出自としながら、僕はたまたま使う技術や素材のせいだろうか、、、染織工芸⇔現代美術のあいだをニュートラルに動きなら(とくに自分では意識しては無かったのだけれど。。。)作品発表を続けていました。。。
(究極的には、僕の考えは工芸と美術/現代美術の区別はないという立場をとっていますが、もっとその手前の所の話で…)
そして、しばらくこの変な編集者の方と話してて、工芸⇔美術という理論武装が今の時代、もうナンセンスだと思っている(ただし、出自や文脈として知っておくことは大前提)僕にとって、この編集者の人、僕の作品を全く既存の工芸論の枠組みで捉えないなぁ〜、珍しいへんな人やなぁ〜って、何となく面白そうやし、このへんな人とちょっと付き合ってみようかって思ったんです。。。
兎にも角にも、それが僕の茶の湯とのファーストコンタクトだったんです。。。
今ではとてもありがたい事に、僕のこうした染織工芸の考え方を理解して、観てもらえる方々はとても、とっても多く、嬉しい限りですが…☆
なので、僕の茶の湯の知識は漫画の『へうげもの』から知った事がほとんど…いいのか、悪いのか…。。。
そこから茶人のM先生を紹介いただき、まったく素人の僕にお道具について教えていただいたり。。。
その後も、多くの茶人の先生方とお会いする機会をいただき、ご教授いただいたり、、、僕なりに茶道具をつくっていくようになりました。。。
そして、徐々に茶の湯って言う不思議なトラップみたいなのに、僕はみごとにはめられていく事になるのです…。。。
ありがたい事に「へうげもの」関係」の展覧会もちゃんと数えてないけど、、、数十件、おっそろしい数の企画もいただいきました。。。
ってか、陶芸家さんたちの展覧会ペースについて行くのが必死で、、、この数十件、こなしながら、別の展覧会も余裕でスイスイやり繰りしていく陶芸の人たち目の当たりにして、こいつらヤベぇ〜、タフってか、人間力高すぎ〜ってビビりまくり、、、、今となっては、いろいろ学ばせてもらいました。。。
しばらくして、僕は茶道具をつくならば、本格的に茶の湯を学ばなければいけないかもっと思い、M先生に相談しました。。。
すると、、、意外にも、、、M先生、すっかりお見通し、、、「前川さんはね、、、きっと茶の湯を知らないから、これだけの、すばらしい(ちょっと自分で書くの恥ずかしいけど。。。)作品がつくれるのですよ。。。そして、もうすでに、道具としての基本は理解されてるから、もう十分ですよ。。。知らないほうがいいですよ。。。」
って。。。
ん、、、すでにもう先を読まれてましたね。。。
茶の湯の世界で求められている「僕」は、「へうげもの」、それも茶の湯の常識(あくまで道具なので、使い勝手や道具としてのルール、布の張り具合、柔らかさ、手触り、そのあたりは、もちろんきちんと考慮しています)をくつがえすものでなければならないんだなあって、、、そのままの僕でよいのだって気づかされました。。。
伝統柄をやっている方は、それはそれでよい。
僕には僕にしかできないお茶道具があるんだなって、、、当然なんだけど、、、言われて改めてハッと思いました。。。
「守破離」ってやつ???ですよね。。。先生???
ようまだちゃんと意味理解できてるか不安やけど。。。
話は少し変わりますが、例の変な編集者さん(ほんまいい加減怒られるな。。。)が「へうげもの」を語る際に、よく「越境」という言葉を使われます。
僕のお世話になっているギャラリー白白庵のオーナー石橋氏もよく使われる言葉です。
僕はたまたま周りのみなさんのおかげで染織工芸から現代美術、また茶の湯の世界まで、あらゆる分野まで「越境」させてもらえました。。。
また、僕自身のあつかう技術や素材も伝統的なものから最新テクノロジーまで、また他分野で活用されていた技術や素材などもとりいれ、ますます「越境」のスピードは加速しています。
ポストインターネットの時代、またコロナ禍により多く人が生き方やあらゆるものの価値観を見直したと思います。
悲しいきっかけではありますが、ネット技術やそれに伴う技術は急速に加速し、生き方の多様性がこれから更に顕著に現れてくると僕は思っています。
だからこそ、何か1つの観念に縛られて生きていくのは、非常に困難であり、もったいない時代になるでしょう。
自分一人の中でも、今までに無い多様性に満ちた自分という存在ができ、常に変化・更新し続けていくでしょう。。。
アイデンティティーの模索や自分探しなんて、もうすでに過去の幻想にすぎません。。。
これからの時代、この「へうげもの」が教えてくれた「越境」という能力を身につけて、自分に無かったことを認める、理解する、また取り入れる、多様性あふれる可能性に満ちた人々が増えると、これほど素晴らしい未来はないでしょう。。。
なんだか、、、タイトルから随分と遠ざかったような終わりで、、、恐縮です。。。
○掲載写真の作品に対するお問い合わせはギャラリー白白庵まで。
白白庵 PAKUPAKUAN | Art Crafts JAPANESE HYBRID ART
○掲載写真の一部作品はギャラリー白白庵ECサイトにてご覧・ご購入いただけます。
※帛紗・古帛紗、菓子切り入れなどに関しては、現時点でECサイトにて販売しておりませんので、お手間をおかけしますが、直接、ギャラリー白白庵までお問い合わせください。
【ギャラリー白白庵ECサイト】
染織作家・前川多仁「Shangri-la」 – 白白庵 PAKUPAKUAN