『天上天下 呈茶会』☆備忘録☆その2
白白庵での個展『Shangri-La』のオープニングで開催いただいた『天上天下 呈茶会』、、、僕にとって奇跡というか感動という簡単な言葉では言い表せないような、あの1日(3月7日)から、はや約1か月が経とうとしてます。
その後も世界は更なる不安と恐怖につつまれ続けています。
人類が危機に直面した時、人間の善意と悪意が日常に更に表面化し、混沌と渦を巻くように、私たちの感情は不安定に揺さぶられます。
そうした日々から、少しでも、僕の目指す神なるものの世界(前回のblogを参照してもらえれば、分かりやすいかと…)の、希望を抱けるよう、このお茶会の記録を記したいと思います。
なんせ、筆が遅い僕でして…書くのか遅くなってスミマセンです。。。
あまりに、伝えたい事が多く、約1か月経った今でも、まだ上手く言葉で整理出来ないくらいの感情がゴリゴリとうごめいており…なかなか上手くまとめられず、2回に分けての記載となります。
前回では、白白庵の3Fで開催いただいた乙亥会・代表の鈴木先生のお茶席を書かせて頂きました。
今回は、白白庵の1Fにあるお茶室で開催いただいた、乙亥会・代表代行の川原先生による、お濃茶のお茶会を記します。
白白庵の1Fには、南青山にこんな空間があるのかっていう、茶室があります。
まずは、床の間のしつらえから。。。
掛け軸として、これまた、僕の今回から始めた言葉を作品に取り入れる、もしくは言葉からイメージして作品を練り上げていくシリーズで、『八風吹不動天辺月』という言葉をモチーフにした長いパネル形の作品をチョイス頂きました。
これは、僕自身への戒めの意味を込めてつくった作品で、『八風吹不動天辺月』とは、簡単に言えば、何が起ころうとも(どんな強風が吹こうとも)、天の月のように動じない、しっかりした心をもって生きていく、、、という教えです。
八風とは、利益、衰退、陰口、名誉、賞賛、悪口、苦、楽の8つを言うそうです。
僕はそうした八風に、とても心が弱く折れやすい、そして浮かれやすくもある、そういう人間なんです。。。
そんな自分を今一度、律して戒めるため、つくった作品です。
僕にとっては、そんな言葉の前でのお茶席は、さらに茶室の空気がピンっと張り詰めるようでもあり、背筋がグイッと伸びる感覚で座らせていただきました。
そして、川原先生のお手間が始まり。。。
んっ、、、なんか、ピンと貼り詰めた空間が、そして自分への戒めへの言葉が、より緊張を高めていたのに、なんだろ、、、川原先生の所作を観ていると、矛盾した様な表現だけど、なんだか、安らぎのある程よい緊張感へと変わっていく感覚が、っていうか、そういう空気が川原先生の手元から湧き出てるような…そんな不思議な空気感を感じました。
川原先生とお話させていただきながらお点前を拝見させていただいていたのですが、、、なんとも、川原先生も、どんな事が起きようとも不動の心を保つという『八風吹不動天辺月』という言葉を常に大切にされておらると、、、。
そして、川原先生とこの言葉のお話しをしていて、先生の安らぎのような優しさの中に強い信念を感じました。
自分がつくった作品が自分から旅立ち、川原先生を通してもう一度、自分の元へ成長して戻ってきて、自分への戒めと同時に、何かしら、この新型コロナウイルスの不安と恐怖を乗り越える、勇気のような、信念がピンッと通った強さみたいなものもを与えてくれたような瞬間でもありました。
そして、川原先生がご準備いただきたお茶菓子。。。
奈良にある当麻寺の近くの中将堂本舗のよもぎもちを頂きました。
川原先生がおっしゃるには、Shangri-Laから桃源郷、そして蓬莱山、さらに蓮と連想されたところから始まり、葉には神が宿るとされる聖なる存在でありながらも、日本では昔からとても身近なものであるという事。
そして、3Fが天上茶会で鮮やかな空と鳳凰が共にあり、1Fは天下でどっしりと構える地面であり、土から生える草で大地のエネルギーを頂くという意。
春の訪れを香りを味わっていただきたいという思い。
また、1400年の歴史ある奈良の当麻寺に由緒のある土地のよもぎを使ったお餅なので、僕の最近の仏教観(まだまだ、ちょ〜浅いですが、、、)に繋げていただいた、、、というなんとも川原先生のお心遣い、僕にとっては嬉しい限りのお菓子です。
よくよく考えてみると、よもぎは昔から薬草としても使われるし、アイヌではよもぎを神の宿る魔除けの植物として、「ノヤイモシ」という伝染病から守る守護神をよもぎで作ったと聞きます。
(実は、個展のタイトルを『Shangri-La』に決める前、アイヌ語で神を表す『カムイ』というタイトルにしようかと迷っていて、アイヌ文化について少しだけ調べていました。。。)
そう考えると、今のこのウイルスの不安と恐怖の状況下、川原先生がご準備いただいた「よもぎ餅」も偶然ではなく必然だったのかもしれません。
余談ですが、、、当麻寺は、僕の母校である大阪芸術大学から車で少し走った近いところにあります。
これも、たまたまじゃないような、、、ゾワっと不思議な縁を感じます。。。
さてさて、、、少し長くなりましたが、いよいよ、、、今回、さすが川原先生が僕の気持ちを察して頂いたんでしょう、、、念願の木ノ戸久仁子氏の光るお茶碗と僕の帛紗の合体でお茶をいただきました。
この写真は2月に開催された木ノ戸氏の個展「世界石化計画」(白白庵)にて、この木ノ戸氏の光る陶器と僕の古帛紗が初合体!!!
この時、これぞ「しつらえ」!、、、「しつらえ」というのは、作家の意思をより昇華させ、別次元の世界へ引き上げるという行為だよ〜ってSNSで書いたのでご存知の方もおられるかもしれません。
そう、完全、ラピュタです!!!
光る陶器なんです!!!
飛行石なんです!!!
そして、この写真のしつらえに、僕はサブイボ級の感動をしたのです。
きっとそんな僕を察してお気遣い頂いた、川原先生のなんというか優しさ、、、お気遣い、、、んんんん〜なんかそんな簡単な言葉じゃないな、、、なんにしろ、ちょ〜感激でした。
そして、、、ブラックライトを借りて、どの角度から光をあて、どの角度から見たらかっこいいか、、、ひたすら、、、黙々と舐めるように鑑賞させて頂きました。
写真はお濃茶の後に、少し残ったお茶をお薄でさらに頂きました、、、の図。
ほんとは、流れからして前後するんですが、どうしても最後に書きたくて。。。
僕は決して茶人でもなく、お茶会に頻繁に参加するような人間でもなく、作法も経験もちょ〜浅い人間です。
そんな僕が偉そうに言うもおこがましいのですが、、、。。。
お濃茶というのは、僕のイメージでは、エスプレッソ。
もちろん、濃くて、渋くて、苦い、、、その奥にある香りであるとか、甘さであるとか、達人はそうした味を楽しむのだろうかと思っています。
お濃茶も同様、濃くて、渋くて、苦い、、、でも僕は全く達人の域まで達していないので、その奥までたどり着けず、渋くて、苦いイメージがやっぱり強いのです。
でも今回、初めて、なんかちょっと違う感覚を味わいました。
ん〜、、、一言で言うと「まろい」のです。。。
こんな日本語、正式にあったっけな???
つまり、角がなくて、卵みたいに丸みをおびた感じ、やさしく包み込まれる感じ、、、ズバリっ観音様オーラみたいな感じかな。。。
最初の方に書いたのだけど、つまり、これは川原先生の所作が生み出す、不思議な安らぎのある程よい緊張感。
川原先生のお濃茶は、僕にとっては「まろい」のです。
きっと、川原先生の所作からは、「まろい」観音様オーラがあふれてて、お茶の中に流れ込んでいるんだって、、、僕は初めて、お濃茶の味がちょっとだけ理解できたような、、、ようやくこの歳になって、ちょっとは大人の味がわかるようになったのかな。。。
お茶会の後、川原先生と僕の作品の虎の掛け軸の前で2ショット写真を撮って頂きました。
なんだか、つらつらと、長くなりましたが、、、これでもまだ書き足りないくらい、僕には刺激的な1日でした。
この偶然とも言えそうな必然をつくりだしていただいた、山の大神さま、そして乙亥会・鈴木先生・川原先生、 お手伝いいただいた皆様、ギャラリースタッフ、ギャラリーオーナー、何よりお越しいただいた皆様やいつも応援してくださる皆様、そして家族、全ての方々に支えられ、僕はこうした芸術活動ができています。
新型コロナウイルスの影響で、予定してた展覧会が中止や延期となっていき、僕も含め多くの作家やクリエイティブな仕事をされている方々にとっても、たいへん苦しい予想もしなかった状況が続いています。
悔しくて、辛い思いをしている人も計り知れないくらい多いも思います。
(もちろん、他の業種の方々も同じしく苦しい状態にあられるかと思います。)
状況はこれから更に、僕たちには厳しくなるかもしれません。。。
だからこそ、このように、多くの方々に支えられているから僕は芸術活動ができるんだと言うことを、より一層ありがたく感じてもいます。
この先、どうなるか全くわからないですが、前回のBlogと今回のBlogので書かせていただいた『天上天下 呈茶会』が、この状況下において、数々起こる奇跡に、偶然ではなく必然であったのだと確信しました!!!
そして、1日でも早く、それぞれの人にとっての『Shangri-La』が訪れることを願って。。。