『天上天下 呈茶会』☆備忘録☆その1
先の見えない不安と恐怖の日々が続くなか、少しでも、神なるものの希望を求めて、Blog再開の実質第1回目は、ちょっと日が経ちましたが先日の個展『Shangri-La』の初日に開催いただいたお茶会をお伝えしたいと思います。
また、僕自身の備忘録的な記録としても残しておきたく、記したいと思います。
かねてから、僕の作品制作の根本にあるのは、神なるもの世界に近づきたいっという思いなんです。
ニーチェが「神は死んだ」と説き、大文字の「神」に代わる宗教や国家、民族など「大きな物語」もポストインターネットの時代が進むにつれ、急速なグローバル化と同時に個の多様化により、機能しにくくなりました。
つまり、神は完全に死んだと、誰もが確信しました。
それにも関わらず、僕は神なるものに希望を持っています。
僕をはじめ私たちは神がいないと知りつつも、人はなにかしら、それぞれの(小さな)神「なるもの」に頼らなければならない程、弱く、脆い存在であるのかもしれません。
あえて僕が「なるもの」と付けるのは、その対象が例えば、アイドルであったり、特撮ヒーローであったり、トップモデルだったり、映画スターだったり、、、そうした『キッチュ』な存在に(小さな)神はすり替えられ、それぞれの神「なるもの」に希望やよりどころを求めているのです。
このあたりの話は長くなるので、またいつかお話しましょう。
もちろん、今回も僕は神なるものの世界を、白白庵のギャラリーの空間の中に表出させたく、お越しいただいた方が、神なる世界の多幸感、安らぎ、力強さ、救い、希望、、、などなど、、、少しでもご自身の中に取り込んで欲しかったのです。
こういうと少し傲慢かもしれませんが。。。
僕は丹波篠山市という山に囲まれた田舎で生まれ育ち、山や森に対して、簡単に言えば「もののけ姫」のような、神秘性をもっています。
一方で、ファミコン・ゲームボーイ全盛期世代でもあり、山や森というナチュラルな存在とコンピュータという人工的な存在がシームレスに、同居していました。
それが現在の制作スタイルにつながっていると思います。。。。またまた、、、脱線してしまうところでした。。。
そう、その山や森への異様な神秘性に惹かれ、僕はオオカミをモチーフに使うことが多くあります。
オオカミは大神とも書き、山の頂点に君臨し、神としても崇められてきました。
大口真神さまとも言い、今でも大神さまを祀る神社や大神伝説は日本のいろいろな山岳地域で残っています。
そうした山への信仰をテーマにした、大神さまの作品シリーズをたいへん気に入ってくださり(そう簡単な言葉で表現していいものかどうか、、、)、僕の神なるものへの思いを理解し共感してくださり、僕の多くの作品をコレクションいただいている茶人、乙亥会の代表・鈴木先生と代表代行・川原先生によってギャラリーオーナーの配慮で今回の『天上天下 呈茶会』は実現しました。
ギャラリーの構造を生かした、なんとも見事な螺旋階段を生かしたお茶席です。
螺旋階段は、それこそ天上界へ登る様子を表しているようにも思えます。
黒い傘は、先生曰く、夜を表現しておらるとのこです。
大神さまは夜に遠吠えをあげます。
僕も常々思うのが、山は夜になると、その神秘性は何百倍にも増し、きっと山の神々は夜に動き出すのです。
それは山の恐さもであり、神秘さでもあり、美しさでもあるのです。
僕は京都と丹波篠山市を仕事とアトリエの関係で頻繁に往き来するのですが、いつも深夜の山の峠を越えていきます。
鹿やタヌキなど夜行性の動物が突然現れたり、何かしら、僕を覆いこむオーラのような、、、僕はきっと山のちっさな神々がザワザワと動き出していると思っているんですが。。。
やっぱり、大神さまの力は夜になると何百倍にもパワーアップするような気がするんです。
さすが、鈴木先生、僕のことをよくわかってらっしゃって、完璧な僕の心ギュッとつかむご準備をされておられました。
お茶碗は僕と同じ丹波篠山市出身、そして高校の先輩でもある陶芸家、僕らの兄さん、山田浩之氏作、そして茶杓と棗は、これも丹波篠山市在住のギター職人、田中清人氏作。
山田に〜さんは、『へうげもの』と言う漫画でのコラボ以降、僕らの兄さんとして頼りになる存在。
そして、なんと田中清人さんは、たまたま僕もお知り合いなのでした!奇跡!
さらに、お菓子は丹波篠山といえば、やはり黒豆。
黒豆のお菓子です。
器は、なんと鈴木先生お手製!
一つ一つ、丁寧に心を込めてつくっていただき、、、ありがたい限り!!!
これぞ、まさに丹波篠山づくし。
きっと山の神々も、もちろん大神さまも、遠くから見守ってくださってたと確信します。
(余談ですが、、、篠山藩は青山家が藩主で、東京の白白庵がある青山も青山家と繋がりがあったらしいです。。。こうした不思議な縁も。。。。)
さっ、さらに奇跡なのが、、、今回の茶杓と棗には「羯諦」っと文字が彫ってあるのです。
もちろん、鈴木先生が僕の最近の仏教観を察してくれはったのかもしれません。
それが、今回の新作で「般若心経」を一節をテーマにした『Magic Board』という作品に「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」という一説を書いていて、なおかつ、会場『Shangri-La』の世界への入り口になる部分に、この作品を展示していたのです。
なんとも、背筋がゾワっとしました。
鈴木先生のお知り合いで俳句御家元の小林静司先生にもお越しいただき、初めてお会いしたにも関わらず、僕のまだまだ及ばぬ宇宙と神々の世界のお話させていただき、いろいろなお話も聞かせてくださいました。
そして、鈴木先生を通して以下の句をいただきました。
「宇宙ほど はなやかなり ところなし みなでのぼろう 螺旋階段」
後日、鈴木先生よりお手紙でもいただきました。
本当に泣きそうなくらい嬉しかったです。。。っというよりちょっと泣いてしまいました。。。
茶の湯とは、やっぱり昔からよく言われるよう、様々な不思議な出会いや縁をもたらすとききます。
鈴木先生や川原先生に出会えた事、白白庵でお茶会が出来たこと、たくさんの方々にお手伝いいただき、すべてのつながりの中で、僕は支えられ、こうして作品をつくる事が出来ているという事、、、、、。。。。
そして、いろんな不思議な奇跡が起きる事。。。
すべて、偶然のようで必然であったのかもしれません。
こうした奇跡に心から感謝、感謝、、、皆さんに感謝です。
大神さまの、大きな見えない力によって、僕たちは動かされていた、、、今も動かされているのかもしれません。。。
最後に、今回の『天上天下 呈茶会』の白白庵3Fでのお茶席では、正面に『彩鳳舞丹霄』という言葉を書いた作品を掛けさせていただきました。
僕のBlogのタイトルにもしている言葉です。
芳賀幸四郎 著『新版一行物』によれば、「……めでたいものとしてよく年頭の茶会でお目にかかるものである。(中略)この句は『五色の翼をもつ鳳と凰との一双が、天下泰平・万民和楽の聖代を祝って出現し、雲一つない天空に悠々と舞い遊んでいる』という意味である。」という事らしい。
つまり、不安や恐怖がすっかりなくなり、澄み渡ったようなキラキラした空に、豪華絢爛な眩いばかりの鳳凰たちが幸せと希望に溢れがら舞い踊る様子、、、それが僕なりの『Shangri-La』であり、神々の宿る世界だと。。。
そして、僕の目指す世界なんだと。。。
本来ならば、お正月などめでたい日に掛ける言葉なのですが、あえて僕は今回、この不安と恐怖の日々が1日でも早く終息することを願って、3Fお茶席の正面に掛けさせていただきました。
長くなってしまいましたが、、、ホントなら、まだまだ書きたいことはたくさんあるんです。。。。
でもこのくらいにして。。。
とにかく、当時は3月7日でしたが、そうした状況下にも関わらず、予想に反して、たいへん沢山の方々にお越しいただきました。
また、お手伝いいただいた皆様や鈴木先生、川原先生、ギャラリースタッフ、またオーナー、すべての出会いと奇跡に感謝です。
しかしながら、、、、、、今回、まだまだ書ききれなかったので、、、、、、『天上天下 呈茶会』⭐︎備忘録⭐︎その2 として、同日、白白庵1Fの茶室にて開催されました、乙亥会・代表代行 川原先生のお茶会の様子を後日、またお知らせします。
このBlogを通して、僕の目指す、神なる世界の多幸感、安らぎ、力強さ、救い、希望、、、など、、、、少しでも伝わればと願っています。