彩鳳舞丹霄☆前川 多仁の鬼魔愚零録☆

染織工芸を出自とした美術家、前川多仁の公式Blogです。

僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ☆

 

ご存知の方のおられるかと思いますが、僕は数年前から廷帝部亜(テディベア)を作品(プロダクト)としてつくっています。

 

おそらく僕のSNSのアイコンにも使用しているのでご存知の方も多いかと。。。

 

あえて漢字を当てはめてているのは、近年のヤンキー用語文化の作品シリーズにゆくゆくは展開してゆく前兆だったんでしょう。。。

 

それはさておき、お盆も終わってご先祖さんの供養も終わったところですが、、、先日もSNSで少し触れたように、いよいよ、ギャラリー白白庵のECサイト【特集コレクション】では、このテディベアをざっと集結させ、僕なりの山や森への神聖なる祀りがWeb上ではありますが、おこなわれています。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵



 

そのギャラリー白白庵のECサイト【特集ページ】はこちら

https://pakupakuan.shop/collections/現代の依り代-廷帝部亜-テディベア

 

僕自身も、これを機会に自分の脳内整理をかねて、『僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ』という文章を書かせていただきました。

 

できるだけ誰にもわかりやすい文章にしたかったので、結果として少し長くなってしまった事、お許しください。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)』





 

文章はギャラリー白白庵のECサイト特設ページからもご覧いただけますが、下記にも転記しますので、是非ご一読ください。

 

ご一読いただいた後、併せてECサイトの作品をご覧いただければ、より一層、僕の作品を楽しんで頂けると、、、そう期待しております。。。。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)』(部分)



 

そして何より、僕の制作への思いが少しでも伝われば嬉しく思います。

 

また、ギャラリー白白庵のECサイト特設ページでは、僕の事を十分に理解いただいているスタッフさんに僕の文章を英訳していただいています。

 

僕の微妙な英訳しにくいニュアンスや、英語にない日本語など、かなり僕の思いどおりに訳していただいていますので、日本語圏以外の方々にも是非、ウェブサイトを拡散いただければ嬉しく思います。

 

 

 

かつてのように展覧会が普通に開催できない今、僕たち作家やギャラリー、また美術館なども試行錯誤しながら様々な方法で作品の発表の方法や見せ方を模索しています。

 

まだまだ、芸術の分野はコロナ禍によって厳しい局面にたたされています。

 

もちろん、芸術の分野だけではないでしょう。

 

いや、こんな時だからこそ芸術の分野の人間として出来ることを、手探り状態で考えたり、やってみたりと、、、ただ、正直なところ何が正解なのか、まだまったくわかりません。。。

 

しかしコロナ禍という悲しいきっかけではありますが、新しい可能性はすでに幾らか生まれつつあります。

 

こうした、ウェブ上での企画も小さな一つの動きですが、場所と時間という制限を超え、日本だけでなく世界中の方々に一人でも多くご覧いただき、一人でもハッピーな気持ちにすることができれば、僕にとってこれほど嬉しいものはありません。

 

前置きがとっても長くなりましたが、、、下記、『僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ』を是非ご一読ください。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)メタルマスターVer.』



 

僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ

ギャラリー白白庵ECサイト【特集ページより】

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)』



 

 僕がテディベアをつくるのは、一つの理由からだけではなく、複合的な理由が重なり、例えば点と点が散らばっていたものが、ふとした瞬間に線でつながるというような、そのような感覚です。

 

 それらはどんな点の数々だったのかを綴っていきたいと思います。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)』



 

 人は昔から人型をかたどった人形をつくってきました。古墳や世界的な遺跡からも出土している事からしてもわかるように、おそらく人は人型に何かしらの思いや願い、また自分や誰かの身代わり、魂を込めて、人形に人の大切な何かをたくしたと考えらえるでしょう。このような儀式や行為は世界各地、もちろん日本にも多く今でも引き継がれて存在していたりもします。有名なものであれば、桃の節句雛人形のルーツも、子どもの身代りであったとも言われています。また、自然に風化し人型や動物のような形になった岩に特別な名前を付け奇岩としても祀ってきました。このように、人は人型や動物の形をしたものに対し、特別な意味を抱いてきました。 

 

 僕自身の作品制作の大きなテーマは、以前から幾度か言ってきましたが、詳しく書くととても長くなってしまいます。ですので、僕のウェブサイト(https://kazbot.jimdofree.com)に掲載・リンクしている論文やSNSでの発言、また白白庵の石橋オーナーや青山氏のコメントなどを参照してください。

 

 しかしながら、それではあまりに無責任で、なおかつ膨大な作業になってしまいますので簡単に要約します。僕は「神なるもの」やその世界、救い、希望、願いを求めて表現しています。「なるもの」としているのは、ニーチェの時代から神はもういないと多くの人々はすでに気づいているのです。それにもかかわらず、人は神がいないと知りながら神の代替となるもの、例えば現在であれば、アイドルやロボットアニメ、ゲームキャラ、女優、俳優、ロックスター、ヒップホップグループなどの背後に神を求めているのではないかと僕は考えています。つまり、悲しいかな、人は「神なるもの」を依り代にしなければならない程、弱く脆い存在であるのではないのだろうかと。だから僕は、その「神なるもの」の依り代になるものをつくりたいのです。少しでも多くの人が救われるように、また何より自分自身が救われるために、僕は作品をつくっているのです。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)』



 

 ここでまず、前述した人型というものに対しての人の思いが、僕の「神なるもの」の考えとリンクします。人は人型の背後に「神なるもの」の存在を感じ取り、人形に様々な大切な何かをたくしたのでしょう。そうした流れから、僕は人形の形をしたものを、以前からずっとつくりたいと考えていました。

 また一方で、これは僕の代表作(の一つと言われている)布団の作品につながる話ですが、僕は子どもの頃、特撮ヒーローがプリントされたタオルケットが大好きで、毎日いつでもどこでも欠かさずに握りしめていました。このタオルケットを被ると、まるで無敵のヒーローになったかのように怖い夜も強い気持ちで過ごせました。同じように超合金のロボットも常に持っていました。これも僕にとって無敵のアイテム、つまり「神なるもの」の代替だったのです。

 

 同様に、僕には姉も居たのでぬいぐるみも同じような無敵のアイテム「神なるもの」だったのではないだろうかと思っているのです。子どもは、ぬいぐるみがボロボロになってもそのぬいぐるみを肌身離さず愛でて離しません。まさに子どもにとってぬいぐるみは、何よりも味方になってくれる強い存在、友達、ヒーロー、つまり「神なるもの」そのものなのです。

そして僕は染織作家なので布を主な素材として扱います。また、ぬいぐるみは布を主な素材として形状を作り、中に綿を詰め込む、これこそ僕がつくるべき人型ではないのだろうかと思ったのです。そして、ぬいぐるみというもの自体の形状を色々なものに変えて表現するのではなく、型は一つと決めました。これはその型の中でどのように染織という方法だけで様々な表現が出来るかという着物の作り方の考えを踏襲するためです。また、わかりやすさ、伝わりやすさを考え(僕の近年の作品は、難解さを出来るかぎり避けて多くの人への共感を目指しています)、ぬいぐるみといえば世界でもっとも有名であると思われるテディベアをチョイスしました。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 『廷帝部亜(テディベア)』(部分)



 

 さらに、別の点があります。僕は大神(狼)をモチーフにした作品をつくることが多くあります。僕は丹波篠山市という山に囲まれた田舎で生まれ育ちました。子どもの頃は山で遊びながら、同時に家ではファミコンでゲームをするという、自然とコンピュータがシームレスにつながった子どもならではの世界観の中で生きていて、それが今のアナログとデジタルの境目のないシームレスな制作スタイルに影響されているのだろうと思います。

 

 それはさておき、僕にとって山、とくに夜の山はとても神聖な世界であり、何かしら「神なるもの」が宿っていると、そして山の動物たちは、夜にその使者となり、僕たちを見守り、あるいは怒り狂うのです。使者の頂点には、事実上、絶滅はしましたがニホンオオカミが君臨していました。ニホンオオカミは大神とも書かれ、家畜を獣害から守る存在でもあり、食物連鎖の秩序を保つ重要な存在でもありました。そして、僕の世代なら、多くの人が知っているアニメ「もののけ姫」の世界観の影響は、やはり僕にとってとても大きな存在です。そうした事から、いつしか大神に異常なほど神聖な気持ちを抱くようになり、動物園で飼育されているオオカミですら何時間も見ていれるし、なぜか涙も流れてきてしまうのです。そうした僕の大神に対する思いは十分に理解いただけたと思いますが、では今現在、そうは言ってもやはり事実としてニホンオオカミは絶滅してしまいました。では、今、山の頂点に君臨する動物は何か。そう、熊なのです。ですが熊はやはり、大神のような食物連鎖の秩序を保つ働きまで機能できませんが、もし、今もっとも山で力強い動物はと言われれば、もしかしたら熊をあげるかもしれません。

 

 最後の一点は、山の神の話にも通じる話ですが、僕自身が近年、アイヌ文化に興味を抱いているという事です。実は2020年の3月にギャラリー白白庵で開催した個展のタイトルは「Shangri-La」でしたが、僕の中で「カムイ」という候補もあり迷っていました。カムイとはアイヌ語で神を表す言葉で、大雑把に説明すると、アイヌ文化では様々なものに神が宿っていて、それぞれにそれらの神を○○カムイと言い表現するのです。個展ではもっと広いイメージを持たせたかったのと、僕自身のアイヌ文化への勉強がまだ足りていないと思ったために、最終的に「カムイ」というタイトルは使いませんでしたが、山や動物への神聖な信仰や万物に神が宿るという考えは僕の制作のテーマに非常に近いものがあります。

 

 アイヌの重要な儀式にイオマンテという熊を祀って、その魂であるカムイを神々の世界へ送り帰すという儀式があります。つまり、人間の世界へやってきた熊を、神聖な神々の山の世界へもう一度送り帰し、山の神々、カムイたちに今後の幸せを願うのです。

 まだまだ上手く言語化できませんが、もしかすると僕にとって、テディベアをつくことは、僕なりのイオマンテなのかもしれません。

 

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写真提供:ギャラリー白白庵 



 

前川多仁

2020年8月