☆狂気と幽体離脱☆
いよいよ僕、コロナ疲れでおかしくなったのかって…。。。
いやいや、、、そんな事はないですよ〜、いや、ちょっとあるかな???
まぁ、どっちでもいいか、、、僕がなぜ作品をつくるのか、、、理由はいろいろあるし、年齢やその時々で理由も変化してきたし、今も変化してるし、、、未だ掴めてなかったり、、、まだまだ探ってるところはあるのだけど、、、。。。
今、いちばん言えるとしたら、、、〈開放されたい・開放したい〉っと言うのが、今、僕の最も上位の作品をつくる理由かもしれないの、、、。
他にもどうしたら皆んなが救われるか、また僕自身が救われるか…などなど、理由なんてなんぼでもあるけど。。。
まあ、理由、第一位っていうところで。。。
なんで、こんな話するかって言うと、先日、オンライン呑み会で、作家どうしで呑んでると、やっぱり芸術論とかになる訳で、、、そんで、なんで作品つくってるの?って話になったのです。。。
みんなそれぞれに、いろいろな理由があって、それはそれで、もちろんいい訳で。
そん時は、僕はうまく言葉にできなくて、何となく感覚的にしか答えられなかったんだけど、、、その後、じっくり考えて、、、それでもなかなか上手く言葉に出来ず、次の日の夕方、庭にほんまアホかってくらい狂ったように咲くツツジがフッと目に入って、今、言葉にするとしたら、〈開放されたい・開放したい〉という事なんだって気づいたんです。
危ないですね。。。解釈を間違うと。。。
でも、まさに、その危ないギリギリのスレスレの綱渡りなんですな。。。
花ってね、狂ってるんてす。完全に。。。
溢れる狂気が僕を神なる世界へと引き込んでくれるのです。。。
狂気こそが、僕を僕から開放してくれるんです。。。
作品をつくる時、僕は意識的に音楽を爆音にして、僕は脳味噌をぶっ飛ばします。。。
調子が良い時は、おそらく脳からスーパーアドレナリンが大放出されてるんでしょう、狂気みたいなのに僕の脳はズブバブに浸るのです。。。
そして、非日常の神なる世界に、そんな領域に突入したような聖なる感覚におちて、僕は僕から開放されるのです。。。
僕は宗教学者ではないから、わからないけど、お経とか、厳しい修行とか、ひたすらに繰り返したり、唱え続けることでトランス状態に近くなって、聖なる領域に入るような、そのような感覚に近いものかもしれません。。。
まあ、僕が、神なるものやキッチュをテーマにしているのは、結局、そういう所にも繋がるのですが、、、。。。
という訳で、とにかく僕にとって、狂気とは、僕を動かすエンジンみたいなものだけど、、、狂気はその名のとおり、紙一重、一歩間違うと他人や自分自身を傷つけかねない、さらにはハマると抜けられない恐ろしさも伴っているのです。。。
それ故に、僕にとってはなおさら美しいのだけど。。。
そして、もう一つ、不思議な事があるの。
作品つくる時、どんだけ狂気にどっぷり浸かろうが、僕は幽体離脱していて、極めて冷静なもう1人の僕が、ふむふむ、ここはこうした方がいいよ、っとか狂気溢れる僕を微妙にコントロールしてるんですよね。。。
それは、おそらく倫理的、社会的な接点でもあると思うんだな。
それと、人っていう共通言語みたいなの。
たぶんだけど、狂気をただ単に開放する事はとても簡単な事。
つまり、最終的には自殺や殺人、、、究極的に言えばね。。。危ない、危ない。。。
しかし、そうした狂気を幽体離脱して、もう1人の僕が冷静にコントロールする事は、宗教的な開放に近いのかな…なんて、思ったの。。。
どうなんかな〜まだまだ、この辺、上手く言葉に出来へんけど…。。。
吉田さん〜(某お寺の僕の心の師)教えてぇ〜!!!
なんだか、重い話になっちやったな〜。。。
次は軽くサクッと書こうっと。。。