☆テクノロジーへの誤解☆
今日は、ちょっと真面目に…。。。
長文ですが、時間つぶしにご一読いただければ幸いです。。。
悲しいかな、コロナ禍がきっかけで、リモートや新しい情報の発信・共有方法、新しい人とのつながり方、その他さまざまななテクノロジーの可能性や、その利便性に気づいた人はとても多いと思います。
コロナ禍で半強制的であったにしても、結果として、リモートワークやリモート呑み会、リモート授業、リモート教育などなど、多くの人にテクノロジーは一挙に広がり、その恩恵を受けています。
コロナ禍により、自然環境が飛躍的に改善したという報告もあります。
ただし、これに関しては、製造業など多くの経済活動がストップしていることも要因としてあり、慎重に考えなければなりませんが、少なくともリモートなどによるテクノロジーの恩恵で、自然環境が少しでも改善されたと僕は考えています。
(けっしてコロナ禍を歓迎している訳ではないので、誤解のないよう。。。
むしろコロナ禍で、僕の予定していた展覧会は全て吹っ飛び、コロナ禍は僕にとっても死活問題です。。。)
僕は、以前から、テクノロジーは人類を救うという立場をとっていて、口がすっぱくなるくらい、その可能性をアートや特に僕が出自とする工芸(染織工芸)の分野で発信してきたつもりです。
しかしながら、何年も何年も言い続けててきたけども、特に工芸の分野においては、たいてい否定的に批判されたり、嫌悪感をもたれてきました。。。
そこには、工芸という分野において、手仕事や自然への崇高な考えが、ドシッと横たわっているからで。。。
もちろん、そうした考えは間違っていないし、僕も否定していません。
っというより、むしろテクノロジーが高度化するすにつれ、そこには身体性がますます容易に生まれ、テクノロジーによる技術は手仕事となんら区別もなくなります。
また自然との境目もシームレスになり、テクノロジーと自然は一体化へすすんでいくでしょう。
テクノロジーと手仕事・自然という構造は、二項対立のものとして、もはや存在していないし、もうその一体化の現象はすでに急速にすすんでいます。
この辺りの話を書くと、とても長くなるので、僕が一昨年に発表した研究ノート(試論のようなもの)と併せて、また別に書きたいと思います。
そして、今回は、3月にとある美術館で開催したけど、コロナ禍で途中で臨時休館してしまったTシャツをテーマにした展覧会がありました。
企画いただいた学芸員の方や美術館関係者の方々にとっては苦渋の決断だったと察します。
その後もいろいろなご配慮をいただき、とても感謝しています。
この展覧会は、美術館関係者と学芸員の方の努力とご配慮で、また改めて、いつか展示の予定を考えてくださってますので、また、その機会がくれば楽しみにしていてください。
そこで、オープニングのイベントとしてギャラリートークが予定されていたのですが、たまたま僕の個展初日と重なり、企画いただいた学芸員の方に僕の代わりにトークを代読していただく予定をしていました。
その代読していただく予定をしていた文章を、このコロナ禍のテクノロジーの可能性に気づいた方々か少しでも増えた今、今回のblogでも抜粋してご覧いただきたいと思います。
テクノロジーには多くの誤解がある事、これを今回、ファッションや染織工芸、テキスタイル・染織産業の視座からアプローチしてみようと試みてみます。
これを機会に、あたらしい生活スタイルをつくるきっかけになれば…と願っています。
では、下記、抜粋して記載しますので、ぜひご一読ください。
私の作品は、「詫び」を代表とした引き算の文化と両輪のごとく存在していた、「婆娑羅」や「傾く」など派手で豪華絢爛な日本文化に影響を受け制作しております。
加えて、今回はTシャツがテーマであるため、ファッション・テキスタイル・染織の技術や生産システム・マーケティングなど、改めて考える機会をいただきました。
まず、誤解の無いように最初にお伝えしておきますが、私は様々な染織技法や素材、生産システムなど、一切否定はしておりません。
私の考えは、未来への可能性の1つとして提案できればと思っています。
ファッションや染織という分野は、決して自然環境に優しい分野とは言い切れません。
ファッションにおいては、マーケティングや流通・販売システムの関係で、使用されるよりも、はるかに多くの衣料品が生産され、その多くが新品のまま廃棄されています。
染色という分野では、生地に対して余剰な量の染料や自然分解できない染料を使う場合もあります。
また、廃液、水、CO2なども多量に排出してしまいます。
ある染色工場の経営者がおっしゃるには、多くの染色工場での現状のシステムでは、世界基準のCO2の排出量まで減らすことは、事実上不可能だと言われています。
草木染めという自然環境に良さそうな染色技法の場合でも、例えば媒染させる際に自然分解できない薬剤を使う場合もありますし、染液の抽出や染めの工程で長時間、煮炊きし多くのCO2を排出してしまう場合もあります。
繰り返しになりますが、私はこうした染織技術を否定するつもりは一切なく、多様な染織技法にはそれぞれの良さや作家それぞれの思いや考え方もあり尊重しています。
また、伝統とされる技術や素材を守っていく事も必要なことだと思っています。
私は今回、ファッションや染織、テキスタイル分野が、どうすればサスティブルな分野となり、未来につなげる事が出来るかという事に対して1つの可能性を試みました。
つまり、今回の制作技術、生産システムでは最先端のテクノロジーを活用しました。
制作技術においては、ポリエステル生地を利用し、インクジェットで染料を飛ばし、熱処理を経て生地に染める技法を使っています。
この場合、染料は生地に対して必要最小限の量しか使用しません。
多量の廃液や水を排出する事もありません。
熱処理においても、何時間も煮炊きするのではなく、瞬間的に熱を加えて染料を反応させます。
熱源も電気を利用した熱です。
ポリエステルは多くの方々がご存知ように再生可能な素材であり、オリンピック・パラリンピックの公式ユニフォームにもサスティブルな素材として再生ポリエステルが利用されています。
さらには型紙、シルクスクリーン型なども必要ないので、型代を消化させるために多量の生産をしなければコストパフォーマンスがあわないという必要性も無くなります。
オンデマンドで染色できるので、1枚からの生産も可能ですし、データ化されているため必要な量だけ複製もできます。
また、今回採用したシステムでは、Tシャツのパターン(型紙)に沿ってプリントしますので、余剰な染料やハギレを極限まで抑える事が可能です。
サイズの対応も、服のパターンに沿ってプリントできるため、様々なサイズをあらかじめ生産して在庫をもつ必要はありません。
つまり、完全な無駄のない受注生産が可能になります。
今回の制作システムは、オンラインプラットフォーム化されているため、ほとんどのやり取りがデジタルデータのみでペーパーレス化され、指示書や伝票関係など、紙媒体も必要ありません。
現場へ足を運ぶ回数も極端に減るので、移動に伴うコストや環境への負担もカットできます。
とはいえ、現地に足を運んで、質感や微妙なニュアンスを確認するため、実物を目の前にして、打ち合わせをする必要もありますが、一度おこなえば、後はほとんどリモートワークで完結します。
マーケティングにおいても、完全受注生産が低コストで可能であり、なおかつ、テクノロジーの進化で受注から完成までの期間も非常に短くなっています。
最先端のシステムでは、受注からプリント、縫製、完成まで約2日間あれば充分に可能です。
これによって、ファッションマーケティングの概念も大きく変革され、余剰な在庫や使用されず処分される衣料品も大幅に減っていくと考えられます。
ファッションやテキスタイル染織分野をいかにサスティブルな分野に近づけていけるかという課題において、自然に立ち戻る事、伝統とされる技術や素材を守っていく事、それぞれに可能性はあると思います。
その課題解決の1つの可能性として、テクノロジーの進化という事に目をむけてもいいのではないでしょうか。
特別プレゼント企画、やっちゃいますっ☆
この時期、僕から何か発信できる事はないかな〜って。。。
そんで、僕の布でマスクをつくって欲しいという、お声をとっても、とっても沢山いただいておりまして…。。。
ほんとに、ほんっとぉ〜に、有難い事で感謝、感謝なんですが…。。。
ただ、ちょい、僕が染めた布でマスクをつくると、僕の個人レベルの企業努力程度では、どうしても、、、すんげぇ高級なマスクになってしまいます、、、。。。スミマセン。。。
どう頑張っても、ハイブランドクラスの価格に、、、。。。
ほんとは企業秘密的なところなんですが、、、
ぶっちゃけ、1つのプロダクトをつくるのにどういうコストがかかるかと言うと、、、僕の場合、染める段階から始まりますので、もちろん布を染めるコスト(場合によっては、布を織るところからスタートする場合もあります)、、、それに加えて、縫製代、パターン代(型紙代)、布以外の材料代、サンプル製作費、サンプルを調整していくのにかかる費用、、、その他諸々…。。。
僕の場合は、もちろん、布を染めるのがメインの仕事なので、そこがもっとも高額な費用がかかります…。。。
つまり、布代だけで、生地屋さんに売ってる布の何倍、何十倍、、、、っという感じ。。。
もちろん、僕は個人という小規模なので、ロット(個数)を沢山つくれないため、前述した諸々の経費が大手企業と比べ、非常に高くつきます…。。。
ここまで裏話をぶっちゃけていいものかどうか…。。。
まぁ、だいたい分かる事なんで、いいでしょう。。。
その従来の生産システムにかわり、最新テクノロジーによってガラッと変える革命的なシステムを、現在、水面下で探りつつ構築ちうではあるのですが…。。。
とにかくそれは、近い将来、期待しててください!!!
っという訳で、前置きがすんげぇ長くなっちゃいましたが、、、いっその事、限定10名様に無料でマスクをプレゼントしちゃおうと思いますっ!!!
(なんかこう表現すると、ちょっとアベノマスクみたいでやだな…苦笑)
僕がアートをやっていけるのは、美術関係者やギャラリー関係者、キュレターの方々、プロデューサーの方々、展覧会をお手伝くださる様々な分野の方々、そしてなにより僕をいつも応援してくださるお客さまの皆さん、作品をご購入くださる皆さん、展覧会を見に来てくださる皆さん、美術ファンの皆さん、もちろん家族も…数えきれないくらいの方々の支えがあって、僕はこの今でもアートを続ける事ができています。
けっして、僕1人でアートをやっている訳ではないのです。
この企画は、そんな僕のほんの僅かながらの皆さんへの感謝と、コロナへの小さな反撃です!
その名も、、、
『コロナのアホ!!!予定してた展覧会、軒並み中止になって、どうしようもないやんけ〜!でもな、お前らなんかに僕らの表現の場を全て奪われることなんか絶対ゆるさへん〜!だから僕のスーパー防御力マスク、プレゼントするねん企画!!!』
っという、ちょ〜長いタイトルのプレゼント企画をします!!!
ほんと、僕のマスクのプロダクト化をご依頼・お声を頂いている大変たくさんの方々、こういうかたちに勝手にさせていただき、ほんとうに、ほんっとうにっ、スミマセン。。。
プロダクト化の予定は、社会状況などなど様子をみながら、もしかしたから…。。。っという感じで、今のところ、ご理解ください。。。
それで、、、完成したのがこんなん〜☆
コロナなんて、ぶっ飛ばしてやるぜっていう気合いを込めた、パワ〜全開のマスクをつくってみましたっ☆
裏地は白黒の水玉のコットン生地(肌触り重視のため)を使ってまっす☆
なんで、白黒の水玉なの?って、、、???
それはね、、、僕のちょ〜憧れで天才やとリスペクトしてるギターリストの1人、若くして事故死してしまったランディ・ローズへのオマージュとして。。。
きっと、天国から魔術的なギターで、ビリビリとコロナを電波攻撃してくれるはずっ☆
マスクのゴム紐は、あえて縫い付けず、輪っか仕様にしましたっ!
ゴム紐をクルッと引っ張って回すと、結び目が出てきます。
マスクの微妙なフィット感、ブカブカ具合など、ゴム紐を結び直して調節可能でっす☆
結び直したら、またクルッと回して、結び目をマスクの折返し部分に戻すと結び目も隠れるし、耳も結び目で痛くなりませんっ☆
念のため、ゴム紐も長めに切っていますので、ゴワゴワして気持ち悪い場合は、不要な部分を切ってくださいっ☆
また、ゴム紐はあえて縫い付けていないので、ゴム紐が切れたり、伸び伸びになったら、新しいゴム紐に交換できますし、自分の好きな色や太さのゴム紐や、キラキラの紐など、自分の好きなのにカスタムも可能でっす☆
だいたいのマスクの仕様はそんなところっ☆
全10個、それぞれ柄もいろいろでっす☆
ではでは、ここから以下、大事なところ、応募のルールでっす!!!
①応援には1つだけ条件を付けさせて頂きます。
この後に配信する僕のSNS(Facebook、Twitter、Instagram)で作品『愛羅武勇(I love you.) 』の画像を掲載します。
その作品『愛羅武勇(I love you.)』の画像を大切な人へ送って愛を伝えてください。
Instagramの場合はスクリーンショットで撮った画像でOKです。
また、このblogの画像(下記に掲載します)を使ってもらっても構いません。
とにかく、大切な人に、僕の作品『愛羅武勇(I love you.)』を通して愛を伝えてください!
僕の確認方法は、ずばりっ、信頼です!!!
僕は愛を伝えられたことを信じます!!!
この企画は善意を基に成立させたいのです!
②僕のSNS(Facebook、Twitter、Instagram)のメッセンジャー・メッセージから、「マスク希望」と記して、お名前(当選者のイニシャル発表のため、ふりがなも)、送付先の郵便番号、ご住所を記載してお知らせください。
※頂いた個人情報はこの企画のみしか使用しませんので、企画終了しだい個人情報データは全て消去します。
※締め切りは5月30日(土)23時までです。
※大変申し訳無いのですが、おそらく、ある程度多くのお申し込みがあるかと予想されますので、こちらから申し込み受付の返信など控えてさせていただきます。
【前川多仁SNS】
https://www.facebook.com/kazuhito.maekawa.9
https://twitter.com/metalkazbot
https://www.instagram.com/metalkazbot
③抽選はこちらで完全にランダムにさせていただきます。
①で記載したとおり、この企画は全てにおいて善意で成立させたいので、不正な抽選など一切しませんので、信じていただきますようお願いします。
④当選者は5月31日(予定)にこのblogにてイニシャルと都道府県のみ発表せていいただきます。
僕のSNS(Facebook、Twitter、Instagram)にもblogのリンクを貼っておきます。
イニシャルと都道府県のみの公開ですので、実質、マスクが届いた方が当選となります。
⑤マスクのサイズは大人用(男女兼用)のみで、当選者された方々にはこちらでランダムに柄を選ばせてもらいます。
⑥マスクは布マスクですので、完全なウイルス除去の効果が保証されたものではありません。
マスクのネーミングはあくまで、僕のアート表現上のものとしてご理解ください。
⑦マスクの洗濯は可能です。ただし、殺菌のため塩素などの漂白剤に浸けると白く漂白されてしまいますので、普通に洗濯してください。
⑧只今、海外への発送が確実に行われるか不明な所もあり、また海外の郵送に関わる方への負担軽減のため、国内在住のみの方対象の応募企画になります。
応募のルールは以上です!!!
ルール①でも記載したように、この企画は、人間が危機に直面した時にあらわになる悪意を、出来る限り善意によって封じ込めたいという僕の思いも含まれています。
しかしながらこの企画において、僕の個人レベルのシステムですので、公開できない、確認できない部分や不透明性は多くあります。
ですので、僕は、この企画をあえて人を信じる事に重きをおき、すべての過程において善意ではじまり、善意で終わらせたいと思っています。
では、僕の思いに同意しただける方、僕のワガママに付き合ってやろうじゃないかって方、ぜし、ご応募お待ちしておりまっす!!!
☆狂気と幽体離脱☆
いよいよ僕、コロナ疲れでおかしくなったのかって…。。。
いやいや、、、そんな事はないですよ〜、いや、ちょっとあるかな???
まぁ、どっちでもいいか、、、僕がなぜ作品をつくるのか、、、理由はいろいろあるし、年齢やその時々で理由も変化してきたし、今も変化してるし、、、未だ掴めてなかったり、、、まだまだ探ってるところはあるのだけど、、、。。。
今、いちばん言えるとしたら、、、〈開放されたい・開放したい〉っと言うのが、今、僕の最も上位の作品をつくる理由かもしれないの、、、。
他にもどうしたら皆んなが救われるか、また僕自身が救われるか…などなど、理由なんてなんぼでもあるけど。。。
まあ、理由、第一位っていうところで。。。
なんで、こんな話するかって言うと、先日、オンライン呑み会で、作家どうしで呑んでると、やっぱり芸術論とかになる訳で、、、そんで、なんで作品つくってるの?って話になったのです。。。
みんなそれぞれに、いろいろな理由があって、それはそれで、もちろんいい訳で。
そん時は、僕はうまく言葉にできなくて、何となく感覚的にしか答えられなかったんだけど、、、その後、じっくり考えて、、、それでもなかなか上手く言葉に出来ず、次の日の夕方、庭にほんまアホかってくらい狂ったように咲くツツジがフッと目に入って、今、言葉にするとしたら、〈開放されたい・開放したい〉という事なんだって気づいたんです。
危ないですね。。。解釈を間違うと。。。
でも、まさに、その危ないギリギリのスレスレの綱渡りなんですな。。。
花ってね、狂ってるんてす。完全に。。。
溢れる狂気が僕を神なる世界へと引き込んでくれるのです。。。
狂気こそが、僕を僕から開放してくれるんです。。。
作品をつくる時、僕は意識的に音楽を爆音にして、僕は脳味噌をぶっ飛ばします。。。
調子が良い時は、おそらく脳からスーパーアドレナリンが大放出されてるんでしょう、狂気みたいなのに僕の脳はズブバブに浸るのです。。。
そして、非日常の神なる世界に、そんな領域に突入したような聖なる感覚におちて、僕は僕から開放されるのです。。。
僕は宗教学者ではないから、わからないけど、お経とか、厳しい修行とか、ひたすらに繰り返したり、唱え続けることでトランス状態に近くなって、聖なる領域に入るような、そのような感覚に近いものかもしれません。。。
まあ、僕が、神なるものやキッチュをテーマにしているのは、結局、そういう所にも繋がるのですが、、、。。。
という訳で、とにかく僕にとって、狂気とは、僕を動かすエンジンみたいなものだけど、、、狂気はその名のとおり、紙一重、一歩間違うと他人や自分自身を傷つけかねない、さらにはハマると抜けられない恐ろしさも伴っているのです。。。
それ故に、僕にとってはなおさら美しいのだけど。。。
そして、もう一つ、不思議な事があるの。
作品つくる時、どんだけ狂気にどっぷり浸かろうが、僕は幽体離脱していて、極めて冷静なもう1人の僕が、ふむふむ、ここはこうした方がいいよ、っとか狂気溢れる僕を微妙にコントロールしてるんですよね。。。
それは、おそらく倫理的、社会的な接点でもあると思うんだな。
それと、人っていう共通言語みたいなの。
たぶんだけど、狂気をただ単に開放する事はとても簡単な事。
つまり、最終的には自殺や殺人、、、究極的に言えばね。。。危ない、危ない。。。
しかし、そうした狂気を幽体離脱して、もう1人の僕が冷静にコントロールする事は、宗教的な開放に近いのかな…なんて、思ったの。。。
どうなんかな〜まだまだ、この辺、上手く言葉に出来へんけど…。。。
吉田さん〜(某お寺の僕の心の師)教えてぇ〜!!!
なんだか、重い話になっちやったな〜。。。
次は軽くサクッと書こうっと。。。
☆自分なんて無かった☆
なんだかネガティブなタイトルですが…。。。
僕らの世代なら、よくよく分かってくれると思うけど、、、。
子どもの頃は、集団生活に馴染むよう、いわゆる模範的な学生像というのがあって。。。
そんで、いまだに変だなぁ〜って思うのが、例えば人権ポスターとか描く授業があったりするの。
そこでも模範的な学生像ってのが暗黙の内にあって、たいてい、地球があって、握手してる手があって、虹があって…などなど…。。。
そういうのが、良い絵と言われるわけ。。。
まあ、その良し悪しは、とりあえず、また別の機会に話すとして…。。。
ところが、大学生(まぁ、僕は美術系の大学だったからなおさらの事だけど)になると、個性やアイデンティティを突如として求められるのです。。。
自分自身の表現とは何か?自分とは何者か?他の人にまさる個性はなにか?、、、そう、僕たちが受けてきたアカデミックな教育では、最重要事項として、いきなり自分探しが始まるのです。
僕は、それまでの義務教育と校則にしばられた高校生活から爆発し、自由に自分を表現していいんだって事に浮ついて、とにかく人と違う事、ちょっと変わったと言われそうな事を探しては友達と楽しんでたりした。
でも、結局、それらは憧れの誰かのマネであって、僕の個性でもアイデンティティでもなかったんだ。
そして、僕も当時の第何次かのバックパッカーブームに乗っかって、自分探しの王道であるインドへの貧乏旅へと出るのである。。。
なんで今回、こんな事を書くのかって言うと、たまたまさっき本棚を整理してたら、そのインド貧乏旅の写真がポロッと出てきただけだからなんだけど、、、。
これはジャイサルメールというパキスタンとの境目のところで、砂漠地帯。
砂漠だから車が入れないところも多いので、ラクダとラクダを世話する道案内人兼料理人を雇って(と言ってもめっさ安い。。。当時はね。。。)、ラクダに乗って旅するの。
パキスタンとインドは仲が悪いので、軍人とラクダツアーの観光で生活してる現地人くらいしかいない街。
あっ、インド紀行なんか書いてたらキリが無いので…。。。とりあえず。。。
っで、結局、何が言いたいのかって。。。
結局ね、、、その後もいろんな国を訪れたり、ハイエースを改造して住めるようにして日本中を回ったり、、、僕なりに、いわゆる自分探しというのを、それなりに楽しくやっていたんだ。。。
でも、歳をとる度、それって社会から逃れてるだけで、もはや自分探しですらなく、、、しかも、個性もアイデンティティも、何も見つからなかったんだなぁ〜。。。
そしてアートという事に携わるようになって、それでも、アカデミックな教育の延長で、個性やアイデンティティって言う自分探しの中で僕なりにもがいていたんだ…。。。
でも、何年経っても自分ってのは全然見つからないんだ。。。
自分って何なんだって。。。
そして、大学を卒業して10年後、縁あって大学院へ戻る機会があり、そこで出会った哲学のY先生に僕は衝撃を受けたんだ。
Y先生とお話してたとき、Y先生は「アイデンティティってのは近代の幻想だよ。そもそも、そんなの無いんだよ」って。。。
僕はY先生のその何気ない言葉に、泣きそうだった、、、ってか、たぶん、見つからないように泣いてた、、、。
そうなんだよ、自分なんて探したって、そもそも無いだよ!!!
アカデミックな教育では、今でももしかしたら、個性とかアイデンティティとか求める事が重要とされているかもしれない。
もちろん、アートで食べていくためには、そうした、いわゆる他の人との「差別化」が必要な面もあるという事も理解できるし、実際、そうであろうとも思う。
だから、僕はそういう個性やアイデンティティを求めるアカデミックな教育や、世界に一つだけの花を咲かせたらいい理論とか否定はしてないし、そうであってもいいと思う。
でも、なんだろ、、、僕の場合はね、年々、個性とかアイデンティティとか、そういったものに興味が無くなってきているの。。。
この話をすると、こんな個性的な作品つくってる人が、なぜにっ!って良く言われるんだけど。。。笑。
なんだろね、僕は僕を表現したいというよりも、傲慢かもしれないけど、どうしたら人が救われるのか、また自分も救われるのか、どうしたら皆んな幸せになれるのか、また僕も幸せになれるのか、、、なんかそんな自分という内へのベクトルではなく、外へのベクトルへ向かってつくっているような気がするのです。。。
あくまで僕の場合だけど、僕は自己表現というところからどんどんと遠ざかっているように思うんです。。。
だから、どんだけインドを旅したって、結局、自分なんて無かったんだなぁ〜って。
ってか、自分なんて無かったとしてもいいんだよ!!!
あっ、でも、一つだけ!!!
若い時に、いろんな国や人に会って、いろんな経験、ほんとに死にそうなるような経験も、、、たくさん旅する事はいいと思うよ!
自分は見つからないけどねっ!
☆色即是空☆空即是色☆
以前にSNSで少し触れた事なんだけど、もう少し詳しく、、、。
ちょっと、コロナ関連の事ばかりなんで、少し違う事を。。。
『色即是空』『空即是色』
そう、般若心経にある一節です。
たぶん多くの人が一度は聴いたことがある言葉かと。。。
そんで、この3月に開催された個展の予定が決まってから、僕の頭からなんか引っかかって離れなかった言葉だったんです。
なんでかな〜って、何ヶ月かずっと個展間近まで考えてて。。。
そして、般若心経というお経を通して、3月の個展『Shangri-Lg』では、まだまだ理解や解釈としては未熟だけど…僕なりの仏教観というものコンセプトのうちに加わりました…。
僕はかねてから、幸福に満ち溢れた極楽浄土や天上界といわれる、神々のいる場所を目指して、どちらかと言えば派手で豪華絢爛な作品を制作しているわけでして…。
そして、あるとき、ふと気づいたんですよぉ〜。
幸福に満ちた世界を目指せば目指すほど、そうした派手さや煌びやかさ、豪華さがどんどんと過剰になっていき(僕はこれを「キッチュ化」と言っているんですが…もし、お時間あれば、博士論文で「キッチュ」をテーマに書いておりますので、ぜひ御一読ください。/全国の図書館から国会図書館より取り寄せ可能です。もしくは、大阪芸術大学大学院までお問い合わせください。要約は僕のweb siteに掲載しています。)、そしてこのまま、益々過剰になって極限に達した時、おそらくその場はホワイトアウト、つまり真っ白になるのじゃないかって…。。。
ん〜直感的なんだけど、それはきっと「無」ではなく「空」に近いんです、そのホワイトアウトってのは…。
簡単に例えたら、デザインや美術をやっている人なら分かりやすいかと思うのですが、CMYKではなく、RGBなんです、そう幸福に満ちた世界はRGBなんです。
CMYKとRGBを簡単に説明すると、CMYKは絵具の色を合わせる事に近い感覚。
Cのシアン、Mのマゼンタ、Yのイエロー、Kのキー・プレート(ブラック)が混色する事でいろいろな色が出来ます。
これが全てが合わさると、CMYKの場合は真っ黒になります。
逆にRGBは光の色を合わせる事に近い感覚。
Rのレッド、Gのグリーン、Bのブルーが混色する事でいろいろな色が出来ます。
これが全て合わさると、RGBの場合は真っ白になります。
僕が目指す多幸感あふれる世界の派手で豪華絢爛な極彩色、キラキラした光り輝く黄金や銀色や金属的な輝き、そうした色や輝きが極限まで混ざり合うと真っ白になるRGBそのものなんですよぉ〜!!!
(CMYKは真っ黒になる、、、これについても、またもっと別の視座から考えれそうだけど…またの機会に…)
だから、僕はこの言葉を、どうしても、布を染める前の布そのものの色、つまり純白で書きたかったんです!!!
正確に言えば、この言葉を全く染めないで表現したかったっ!!!
染色する人にとって、布の白は「空」、もちろん布として存在する故に「無」でもないのです。
そして、よくよく考えると純白の着物は、白無垢とも言って、やっぱり幸福に満ち溢れてる着物なんだ。。。
そうなんだ、、、やっぱり、究極の幸福はホワイトアウトなのかもしれない。。。
あぁ、それじゃ、僕、もう何も染めなくてもよくなるのか…。。。
でもなぁ〜、、、矛盾してても染めたくなるんだね、僕って。。。不思議なもんだ。。。
っという事で、以下ちょっと通販番組みたいですが、、、昨日オープンしたばかりのギャラリー白白庵のECサイト(白白庵通販サイト)より細かいデイディテールや全体写真もご覧いただくことが出来ます。
もちろんご購入もいただけます。
この状況で皆さんに作品をご覧いただける方法が限られてしまった今、なんとか出来うる事をギャラリーと共に進めております。
何卒よろしくお願いします。
下記の白白庵ECサイトの僕のページのリンクから是非、ご覧いたければ幸いです。
白白庵ECサイト 前川多仁「Shangri-La」
染織作家・前川多仁「Shangri-la」pakupakuan.shop
また僕以外に、白白庵には素晴らしい作家さんもおられますので、ぜひ、白白庵ECサイトもお楽しみください!!!
白白庵ECサイト
☆パタリロ 殿下☆
ちょっと今日は、サクッと(のつもり…)。
僕は作家仲間や、近しい美術関係の方々から、『殿下』って呼ばれております。
『閣下』じゃないよ、『殿下』だよ…www。
もちろん、『殿下』っぽい、ゴージャスな猫足家具に囲まれ、天蓋付のベッドで寝るような生活にちょ〜憧れてはおりますが…。。。
そして、なにより、僕は数年前、初めてベルサイユ宮殿を訪れた時のことなんです。。。
もちろん、1人旅だったので、日本人のツアー団体を見つけて、後ろの方から日本語でベルサイユ宮殿内の説明をコッソリ聞いていたんです。。。
そしたら、不思議なことに、マリー・アントワネットの隠し扉とかの説明をしてくれてはったんですが、、、ん、、、なんか、、、僕、、、この扉、、、知ってるよ、、、って。。。
そして、その後も一日中ベルサイユ宮殿をウロウロしながら、なんだかすんごく、懐かしい感じがしてならないの。。。
まぁ、きっと僕の前世はマリー・アントワネットではないにしても、おそらくベルサイユ宮殿で働いてた人なんだろうなぁ〜って、それからず〜っと思ってるんですっ☆
だから、僕はそうした世界観が大好きなのも、どっか前世的にも仕組まれてるのかな〜なんて。。。
っという訳で、僕は周りから『殿下』と呼ばれている……っと、そんなええ話しでは無いのです。。。
実は、僕は、そう、タイトルのとおり、「花とゆめ」で連載していた魔夜峰央先生のギャグ漫画『パタリロ 』のパタリロ 殿下に似ているから、いつも間にか、『殿下』と呼ばれるようになったのです。。。
っいっても魔夜峰央先生の世界観は、前述したような、猫足家具やベルサイユ宮殿感満載の世界観で、僕にはとっても嬉しい、むしろ有難く恐れ多いくらいなんですが。。。
近年、魔夜峰央先生の『飛んで埼玉』の実写映画が話題になったので、僕たち世代より若い世代も知ってる人は多いかもしれません。。。
そんで、『パタリロ 』について、少し思う事を。。。
実は、僕は『パタリロ 』は漫画よりテレビアニメで観て知っているんです。。。
(漫画は、大人になってから、ちょいちょい機会があれば読んでたって感じ…)
『パタリロ 』は何度も再放送していて、学校から帰るとお菓子食べながら、よくよく観ていました。。。
しかし、あれだけ再放送を繰り返していたアニメが、とある時期を境に、全くテレビというメディアから姿を消したのです。。。
『パタリロ 』や魔夜先生の世界観をご存知の方はお分かりかと、思いますが、つまり、ゲイと言い表して良いのか、LGBTsの世界観なのです。
これが、おそらく、スポンサーやテレビの大衆娯楽性からくる親からのクレームなどなどから、『パタリロ 』はテレビで放送出来なくなったんだろうと、、、あくまで僕の憶測ですが、多分、間違いないと思います。。。
先日、オンライン呑みで、某氏と少し、この話題にも触れてんですが、案外、僕たちは子どもの頃、なんの違和感もなく、このLGBTsの世界観の中にあるアニメをすんなりと受け入れていたように思います。。。
思っているより、子どもの思考回路はとても柔軟で、かえって大人が◯◯でなければならない…という概念を、いつのまにか教えていたり、子どもの頃の柔軟な思考を奪っているのかもしれません。。。
もちろん、、、1人の社会人として生きていくため、様々なルールを子どもに教えてる事は絶対に大切な事です。。。
一方で、僕は『パタリロ 』とか、こういうアニメこそ、逆に子どもたちに観てほしいと思います。。。
もし、それで子どもが性の多様性に疑問を持てば、そこで、LGBTsという多様性があるんだという話も子どもと一緒に出来ると思うんです。。。
どうでしょう?
賛否両論あるとは思いますが、僕は隠して見せない…っという事にとても違和感を感じてしまうんです。。。
っという事で、多様性がごく当たり前となる未来に向けて。。。
世界に『愛』を。。。
『愛』』ある世界を。。。
国という制度が崩壊するということ☆
昨日、このblogの下書きをしてて、今日もっかい見直してからUPしようと思ってたら、まさに今日、安倍首相が国民一人当たりに10万円の支給を発表した。。。
完全にリアルタイムネタになってしまった…。。。
この10万円の支援、果たして、正しいのか悪いのか、、、僕にはまだまだ分からないけど、、、なんだか、入道雲みたいな漠然とした不安が僕の背後からムクムクと湧き上がってくる感覚がしてならない…。。。
そして、ちょっと重いテーマだけど…昨日、記してたのはこんな事でした。。。
最近、いろんなメディアなんかをみてて、ちょっと思う事を…。。。
僕は、とある国際的に作品を出品するため、13年前くらいになるのかな?ラトビア共和国の首都リーガ市を訪れました。
ラトビア共和国は1990年にソビエト連邦から独立し、そしてEU、NATOに加盟。。。
僕が訪れた時は、資本主義の勢いに、また若い世代の新しい文化や活気にも満ち溢れていました。
展覧会の会場も、国会議事堂の背中合せにある国際展示場という、見るからに立派な建物で開催され、文化庁長官の挨拶から始まり(展覧会の図録の最初に文化庁長官の挨拶が掲載されているという…)これまた、文化に対する財政の使い方も、まるで、バブリーな感じでした。
まあ、その良し悪しはさて置き…、そんな活気に満ちた国の首都のど真ん中で、僕は数日間、滞在する事になったのです。。。
やはり、知らない場所はとても楽しい(なんせ、白夜にちかい夜を始めて体験して、変な感覚におちいったり…)…毎日、国際会議やら、トークイベントやら、いろんな催し物の合間をぬって街をプラプラ、いつものように迷子にもなりながら、街ブラ探検していました。。。
それで、しばらくして妙な空気感に気付いたんです。。。
なんだろ、、、この国、、、この街、、、ある世代を境にして、なんかドンっと重い黒いオーラみたいなのが渦巻いてるんです…。。。
日が経つ毎に、なんとなくわかってきました…。。。
この街には、高齢者のホームレスがとても多いのです。。。
ホームレスでなくても、見るからに貧困な高齢者をとてもよく見かけるのです…。。。
高齢者に物乞いもよくされます。。。
若い世代や中年の世代の生き生きした経済活動の陰でひっそりと、彼ら彼女らは、なにかが奪われたのです…。。。
あくまで僕の憶測ですが…ソビエト連邦から独立…国と言う制度が急変し、ある意味、彼ら彼女らの保証された未来の国は崩壊したのです…。。。(独立したのが良いか悪いかは別の話…)
国という制度がある日、突然崩壊すると、自分の物だった物が自分の物でなくなったり、保証されていたものが、まったく保証されなくなったり…。。。
戦争という国を破壊する行為でも、こういう事がおきるのでしょう。。。
華やかな展覧会場と、街のこうした陰のギャップに、なんだか僕は、国という制度の、偉大さ、大切さ、恐ろしさ、怖さ、軟弱さ…様々な複雑な感情を抱いたのを、今もはっきり覚えています。
もう、あれからずいぶん年月も経っているので、何かしらの対策もされたかもしれません。
っと、それで、僕が結局、何が言いたかと…。。。
新型コロナウイルスに対する日本の対策や支援は、僕も決して他国と比べて十分だと思っていません。。。
しかし、どうなんでしょう…。。。
他国のように、1世帯、何百万円、何十万円、、、ドンドンと無条件に支援して、国という制度は崩壊しないのでしょうか。。。
僕は、経済学者ではないから、この辺りまったく詳しくは無いですが、このハンパない金額の支援はいったい誰かどう負担し、背負っていくのでしょう。。。
人口の僅か数%の超富裕層の方々が国という制度を無条件に救ってくれるのでしょうか。。。
そうは言いつつも、僕もこの状況下、ほんとうに他国並みの大胆でスピーディーな政策の必要性を感じています。
僕自身も軒並みに中止になっていく、展覧会やイベントに、もはやお手上げ状態。。。
新型コロナウイルスに感染せずとも、生きてきくことへの危機感を感じています…。。。
でも、その一方で、莫大な無謀ともいえる大胆な政策は、国も崩壊して、まさに、ハイっ、全員終わっちゃった…ってならへんのかな…。。。
大胆な政策のツケが回ってこない事は無理としても、国というシステムが崩壊しない慎重さも必要なのかな…っと感じてもいます。。。
(難しいのが、それにスピード感が伴わないと意味をなさないというところがなんですが…)
もしくは僕らは、むしろ、全員終了を覚悟して一回、崩壊した方が良いのかもしれない…。。。怖いけど。。。
なんだか、悲観的な文章になってごめんなさい…。
僕自身、まだはっきり、何が正しいのか、答えは全く見えていない状態です。
しかし、一方的に、偏った考え方が、もしかしたら、更に恐ろしい危険を生む可能性を孕んでいるという事も知って欲しかったので、ここに記しました。。。
っという事で。。。
悪魔には『魔』をもって制すっ!!!
みんな、生きて会おうぜっ!!!