介護老人オカンと僕とBeastie Boys☆
またまた介護ネタで失礼。。。
なんだか僕が尊敬する一人でもあるリリー・フランキーさんの有名小説のタイトルみたいになってしまいましたが。。。
相変わらす、何やかやと自分の仕事と介護生活の両立にバタバタと追われたり、また一方では、前回ちょこっとblog「いよいよ本格的介護生活スタート⭐︎」で触れたように介護生活に癒やしや明るい楽しさもあったり、そして、やっぱり、時間という制約からイライラも募る日々もありと。。。
そんなこんなで介護生活初心者もちょっとづつ中級者?に向けて日々鍛錬しております。。。
そして、、、僕の母親は大の演歌好き。。。
とくに坂本冬美さんと島津亜矢さんが大のお気に入りでして。。。
演歌ファンのみなさん、、、すみません、、、僕、島津亜矢さんって全く介護生活するまで知らなかったんです。。。
人って不思議なもんで、そんな老人オカンのリクエストで一日中、演歌を聴くという日が増え、、、まだ介護生活が始まったばかりと言えど、僕なりに演歌の善し悪し???っといったら失礼になるけど、、、これだけ聴いていると、なんとなく、いいな~っとか、なんかいまいちやな~とか感覚的に分かるような気がするんです。。。(ほんっとスミマセン、、、こんな演歌ど素人が。。。でかい口たたいて。。。)
そして、やっぱり、僕の老人オカン!!!
最近になって、僕、坂本冬美さんの天性のオーラのようなかっこよさ、島津亜矢さんの飲み込まれるような歌唱力のすごさ、、、ともにわかるような気がするんです。。。
この二人、ぶっとんでるなって。。。
とくに、浪曲?っていうのかな?台詞みたいなのが途中でたくさん入っている物語みたいな曲を聴いてると、この二人のすごさってハンパないなって。。。
って、、、そうもいいながら、やはり一日中、演歌ってのも僕にはつらく、、、たまに僕のすきな曲を「僕の好きな曲も1回聴いてみて~や」ってかけるのです。
あっ、ちなみに、、、うちの老人オカンの部屋のテレビはキャストしてつないでいるのでネットととながります。。。
これ、、、介護されてる方、ちょ~おすすめですよ。。。
観たいものがいつでも観れるシステム、、、ほかにも介護生活に最新のテクノロジーをガンガン導入すのお勧めです。。。
遠隔操作カメラとか。。。電気を遠隔操作できるシステムとか、、、その他もろもろ。。。
さてさて、本題にもどります。。。
それで、例えば、、、「RADIOHEAD」。。。
老人オカンの反応「ん~、こんなん何うととるんかようわからん」。。。秒殺。。。
また別の日、、、「NIN」。。。
老人オカン「なんか、うるさいだでけで何かわからん、こんなんあかんわ」。。。秒殺。。。
さらに別の日、、、「MOGWAI」。。。
老人オカン「なんか、ようわからん音楽やな、、、こんなんあかんで」。。。秒殺。。。
そして別の日、、、僕:この中のひとり、若くで癌で死なはってん。まあ聴いてよ。「Beastie Boys」。。。
老人オカン「ふ~ん、、、かっこええ顔してはるのに可哀想やなぁ~、なにゆうてはるか全然わかへんけど、みんなかっこいい顔してはるし、こんなんもいいんちゃうか~」
えっ、、、えええっ、、、ビースティー聴くの〜!!!!!
脳梗塞を何度か経験し「死」という事を身近に経験し、介護してもらわないといけない体になってしまった老人オカンにとって、MCAの若くしての癌による「死」というのが何かしら心に響いたのか。。。。
老人オカンなりに、ふだん何も考えていないように見えて、「死」というものに向き合っているのだろうか。。。
また若くして「死」をむかえたMCAに、何かしら老人オカンなりに思いをはせているのだろうか。。。
そうか、ただただ単純に、介護をしている僕を気遣って、その日だけは僕の好きな音楽をかけてあげようとしてくれただけなのかもしれません。。。
果たして老人オカンの真意は分からずのままです。。。
その日は、Beastie Boysの2時間ほどあるライブを、老人オカンと僕の二人はノリノリって感じでもないですが、、、唯一、最後まで僕が好きなな音楽を聴いてくれた一日でした。。。
でもなんだろな、、、なんか分からんけど、なんか僕の一部が老人オカンに認められた、分かってもらえた、そんなような気がして、ちょっぴり嬉しい2時間でした。。。
だから、今回はこの作品を挙げて終わりにしたいと思います(以前にも挙げましたが。。。)。
※作品のお問合せはギャラリー白白庵まで
白白庵 PAKUPAKUAN | Art Crafts JAPANESE HYBRID ART
もしくは、下記ギャラリー白白庵ECサイトよりご覧・ご購入も可能です 。
染織作家・前川多仁「Shangri-la」 – 白白庵 PAKUPAKUAN
僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ☆
ご存知の方のおられるかと思いますが、僕は数年前から廷帝部亜(テディベア)を作品(プロダクト)としてつくっています。
おそらく僕のSNSのアイコンにも使用しているのでご存知の方も多いかと。。。
あえて漢字を当てはめてているのは、近年のヤンキー用語文化の作品シリーズにゆくゆくは展開してゆく前兆だったんでしょう。。。
それはさておき、お盆も終わってご先祖さんの供養も終わったところですが、、、先日もSNSで少し触れたように、いよいよ、ギャラリー白白庵のECサイト【特集コレクション】では、このテディベアをざっと集結させ、僕なりの山や森への神聖なる祀りがWeb上ではありますが、おこなわれています。
https://pakupakuan.shop/collections/現代の依り代-廷帝部亜-テディベア
僕自身も、これを機会に自分の脳内整理をかねて、『僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ』という文章を書かせていただきました。
できるだけ誰にもわかりやすい文章にしたかったので、結果として少し長くなってしまった事、お許しください。
文章はギャラリー白白庵のECサイト特設ページからもご覧いただけますが、下記にも転記しますので、是非ご一読ください。
ご一読いただいた後、併せてECサイトの作品をご覧いただければ、より一層、僕の作品を楽しんで頂けると、、、そう期待しております。。。。
そして何より、僕の制作への思いが少しでも伝われば嬉しく思います。
また、ギャラリー白白庵のECサイト特設ページでは、僕の事を十分に理解いただいているスタッフさんに僕の文章を英訳していただいています。
僕の微妙な英訳しにくいニュアンスや、英語にない日本語など、かなり僕の思いどおりに訳していただいていますので、日本語圏以外の方々にも是非、ウェブサイトを拡散いただければ嬉しく思います。
かつてのように展覧会が普通に開催できない今、僕たち作家やギャラリー、また美術館なども試行錯誤しながら様々な方法で作品の発表の方法や見せ方を模索しています。
まだまだ、芸術の分野はコロナ禍によって厳しい局面にたたされています。
もちろん、芸術の分野だけではないでしょう。
いや、こんな時だからこそ芸術の分野の人間として出来ることを、手探り状態で考えたり、やってみたりと、、、ただ、正直なところ何が正解なのか、まだまったくわかりません。。。
しかしコロナ禍という悲しいきっかけではありますが、新しい可能性はすでに幾らか生まれつつあります。
こうした、ウェブ上での企画も小さな一つの動きですが、場所と時間という制限を超え、日本だけでなく世界中の方々に一人でも多くご覧いただき、一人でもハッピーな気持ちにすることができれば、僕にとってこれほど嬉しいものはありません。
前置きがとっても長くなりましたが、、、下記、『僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ』を是非ご一読ください。
僕が廷帝部亜(テディベア)をつくるわけ
僕がテディベアをつくるのは、一つの理由からだけではなく、複合的な理由が重なり、例えば点と点が散らばっていたものが、ふとした瞬間に線でつながるというような、そのような感覚です。
それらはどんな点の数々だったのかを綴っていきたいと思います。
人は昔から人型をかたどった人形をつくってきました。古墳や世界的な遺跡からも出土している事からしてもわかるように、おそらく人は人型に何かしらの思いや願い、また自分や誰かの身代わり、魂を込めて、人形に人の大切な何かをたくしたと考えらえるでしょう。このような儀式や行為は世界各地、もちろん日本にも多く今でも引き継がれて存在していたりもします。有名なものであれば、桃の節句の雛人形のルーツも、子どもの身代りであったとも言われています。また、自然に風化し人型や動物のような形になった岩に特別な名前を付け奇岩としても祀ってきました。このように、人は人型や動物の形をしたものに対し、特別な意味を抱いてきました。
僕自身の作品制作の大きなテーマは、以前から幾度か言ってきましたが、詳しく書くととても長くなってしまいます。ですので、僕のウェブサイト(https://kazbot.jimdofree.com)に掲載・リンクしている論文やSNSでの発言、また白白庵の石橋オーナーや青山氏のコメントなどを参照してください。
しかしながら、それではあまりに無責任で、なおかつ膨大な作業になってしまいますので簡単に要約します。僕は「神なるもの」やその世界、救い、希望、願いを求めて表現しています。「なるもの」としているのは、ニーチェの時代から神はもういないと多くの人々はすでに気づいているのです。それにもかかわらず、人は神がいないと知りながら神の代替となるもの、例えば現在であれば、アイドルやロボットアニメ、ゲームキャラ、女優、俳優、ロックスター、ヒップホップグループなどの背後に神を求めているのではないかと僕は考えています。つまり、悲しいかな、人は「神なるもの」を依り代にしなければならない程、弱く脆い存在であるのではないのだろうかと。だから僕は、その「神なるもの」の依り代になるものをつくりたいのです。少しでも多くの人が救われるように、また何より自分自身が救われるために、僕は作品をつくっているのです。
ここでまず、前述した人型というものに対しての人の思いが、僕の「神なるもの」の考えとリンクします。人は人型の背後に「神なるもの」の存在を感じ取り、人形に様々な大切な何かをたくしたのでしょう。そうした流れから、僕は人形の形をしたものを、以前からずっとつくりたいと考えていました。
また一方で、これは僕の代表作(の一つと言われている)布団の作品につながる話ですが、僕は子どもの頃、特撮ヒーローがプリントされたタオルケットが大好きで、毎日いつでもどこでも欠かさずに握りしめていました。このタオルケットを被ると、まるで無敵のヒーローになったかのように怖い夜も強い気持ちで過ごせました。同じように超合金のロボットも常に持っていました。これも僕にとって無敵のアイテム、つまり「神なるもの」の代替だったのです。
同様に、僕には姉も居たのでぬいぐるみも同じような無敵のアイテム「神なるもの」だったのではないだろうかと思っているのです。子どもは、ぬいぐるみがボロボロになってもそのぬいぐるみを肌身離さず愛でて離しません。まさに子どもにとってぬいぐるみは、何よりも味方になってくれる強い存在、友達、ヒーロー、つまり「神なるもの」そのものなのです。
そして僕は染織作家なので布を主な素材として扱います。また、ぬいぐるみは布を主な素材として形状を作り、中に綿を詰め込む、これこそ僕がつくるべき人型ではないのだろうかと思ったのです。そして、ぬいぐるみというもの自体の形状を色々なものに変えて表現するのではなく、型は一つと決めました。これはその型の中でどのように染織という方法だけで様々な表現が出来るかという着物の作り方の考えを踏襲するためです。また、わかりやすさ、伝わりやすさを考え(僕の近年の作品は、難解さを出来るかぎり避けて多くの人への共感を目指しています)、ぬいぐるみといえば世界でもっとも有名であると思われるテディベアをチョイスしました。
さらに、別の点があります。僕は大神(狼)をモチーフにした作品をつくることが多くあります。僕は丹波篠山市という山に囲まれた田舎で生まれ育ちました。子どもの頃は山で遊びながら、同時に家ではファミコンでゲームをするという、自然とコンピュータがシームレスにつながった子どもならではの世界観の中で生きていて、それが今のアナログとデジタルの境目のないシームレスな制作スタイルに影響されているのだろうと思います。
それはさておき、僕にとって山、とくに夜の山はとても神聖な世界であり、何かしら「神なるもの」が宿っていると、そして山の動物たちは、夜にその使者となり、僕たちを見守り、あるいは怒り狂うのです。使者の頂点には、事実上、絶滅はしましたがニホンオオカミが君臨していました。ニホンオオカミは大神とも書かれ、家畜を獣害から守る存在でもあり、食物連鎖の秩序を保つ重要な存在でもありました。そして、僕の世代なら、多くの人が知っているアニメ「もののけ姫」の世界観の影響は、やはり僕にとってとても大きな存在です。そうした事から、いつしか大神に異常なほど神聖な気持ちを抱くようになり、動物園で飼育されているオオカミですら何時間も見ていれるし、なぜか涙も流れてきてしまうのです。そうした僕の大神に対する思いは十分に理解いただけたと思いますが、では今現在、そうは言ってもやはり事実としてニホンオオカミは絶滅してしまいました。では、今、山の頂点に君臨する動物は何か。そう、熊なのです。ですが熊はやはり、大神のような食物連鎖の秩序を保つ働きまで機能できませんが、もし、今もっとも山で力強い動物はと言われれば、もしかしたら熊をあげるかもしれません。
最後の一点は、山の神の話にも通じる話ですが、僕自身が近年、アイヌ文化に興味を抱いているという事です。実は2020年の3月にギャラリー白白庵で開催した個展のタイトルは「Shangri-La」でしたが、僕の中で「カムイ」という候補もあり迷っていました。カムイとはアイヌ語で神を表す言葉で、大雑把に説明すると、アイヌ文化では様々なものに神が宿っていて、それぞれにそれらの神を○○カムイと言い表現するのです。個展ではもっと広いイメージを持たせたかったのと、僕自身のアイヌ文化への勉強がまだ足りていないと思ったために、最終的に「カムイ」というタイトルは使いませんでしたが、山や動物への神聖な信仰や万物に神が宿るという考えは僕の制作のテーマに非常に近いものがあります。
アイヌの重要な儀式にイオマンテという熊を祀って、その魂であるカムイを神々の世界へ送り帰すという儀式があります。つまり、人間の世界へやってきた熊を、神聖な神々の山の世界へもう一度送り帰し、山の神々、カムイたちに今後の幸せを願うのです。
まだまだ上手く言語化できませんが、もしかすると僕にとって、テディベアをつくことは、僕なりのイオマンテなのかもしれません。
前川多仁
2020年8月
テクノロジーへの誤解☆その2☆
先日、ちょっとガッカリしたことがありました…。。。
とある尊敬している工芸作家さんがいわく、「本物の天然素材を使ったものはちがう、素晴らしい」←厳密にはこの通りでは無いけど、僕はおおよそこのように理解したし、おそらく多くの人がこのような意味として解釈されたと僕は思ってます。。。
それでも、今でもとても尊敬している工芸作家さんだし、作家はそれぞれに色々なスタンスや考えをもってつくっているので、そう言う意見があっても、僕はいいと思っています。
もちろん、だから僕は否定もしません。。。
ただ、工芸に対して哲学的な考えを持っておられるし、広い視座をもった作家さんだったので、こうした言葉がスルッと出てくるのが、僕には、ただただ残念でならなかったのです。。。
いつも僕は口を酸っぱくするくらい言ってますが、工芸には妙なトリックがあるのです。
天然素材・手仕事・自然=本物
化学的素材・デジタル的仕事・人工=偽物
このトリック、ほんとにそうなんでしょうか?
工芸というのは、それぞれの時代において最先端の技術で非常に合理的な考えでつくられてきました。
だから「工芸は天然素材から出来ている」と簡単に言いきってしまうことは、非常に危険性を孕んでいます。
これに関しては、過去のblog「テクノロジーへの誤解」をご覧いただければ、より分かりやすいかと思います。
全てではありませんが、染織工芸の場合、結果として天然素材から抽出されたものであっても、その抽出された染液は化学反応をおこし染まっています。
なかには、自然素材しか使わない「草木染め」といいながら、媒染(きわめて簡単に説明すると、化学反応を起こして、色を定着させること)する段階で、化学物質を使う事があります。
さらには、媒染で自然分解できない金属が溶解した化学薬品を使う場合もあります。
(※僕は「草木染め」を否定している訳ではありません。)
誤解の無いように、、、もちろん、自然素材(天然素材)だけで染めたものも存在します。
ですので、全てが危険で自然に悪いという訳ではありません。
(※ただし、自然素材(天然素材)が人体に害を与えることも、時としてありえます。)
しかしながら、そうした染色方法も人類が長い年月をかけてあみだし、化学反応という、じつはとてもケミカルな考えに基づいているものがほとんどなんです。
また、以前のblogで書いたように、CO2の問題もあります。
最新テクノロジーで染めた方がCO2の排出量が少ない場合も多々あります。
そもそも、コンピュータの起源は織機にあります。
織機の縦糸の「0-1」の上下運動で布は織られていきます。
この「0-1」の上下運動を進化させたのがジャカード織機であり、初期のジャカードでは「0-1」のパンチングシートが使われてます。
これが更に進化して、コンピュータとなったのです。
だからこそ、工芸という分野はコンピュータと非常に親和性が高いのです。
また、例えば陶芸で言えば、縄文時代の土器が今でも出土するように、陶芸は何千年も自然に戻ることはなく、とてもケミカルな素材・考え方であり、土からつくったからといえ自然に優しいと言い切れるのでしょうか?
(こんな事を書くと、陶芸家さんたちに嫌わられるかな?スミマセン。。。)
話は戻りますが、、、、、
そもそも、この作家さんの言われる、本物の天然素材って何なのだろう?
どういう定義をもって仰られているのだろうか?
では、逆に偽物の天然素材、本物の化学的素材ってあるのだろうか???
イヤミでも、論破するつもりでもなく、もちろん攻撃するつもりでもなく、、、僕は決して誰一人として傷つけたくはないのです、、、ただ、哲学的な考えを持っておられる作家さんだからこそ、ただただ単純にその作家さんに問いたいのです。。。
そして僕の知らなかった事を知りたいのです。。。
本物って、、、いったいどういう事なんだろうかという事を。。。
そうは言っても僕は他方で、工芸における、本物⇔偽物 議論や天然素材⇔科学的素材 議論、手仕事⇔デジタル的仕事 議論などなど、、、これほど今の時代に不毛なものはないとも、じつは思っているです。。。
なぜなら、こうした二項対立の時代はとっくに終わっている、、、っというか、もうすでに融合していて、境界線すらなく、グレーなのです。。。
究極的に言えば、そもそも最初、そう始まりからグレーだった。。。
最初から、なだらかに融和していたんだ。。。
言語化された瞬間から、無理矢理に二極化された、、、っとも僕は思っているんです。。。
だから、本当は全くもって、意味のない議論なんです。。。ある意味においては。。。
ただ、あまりも、ほんっとぉ〜に、あまりも、こうした工芸のトリック(もっと他にもあるんだよぉ〜)に気づいていない、また、トリックにハマってしまっている人を沢山、たっくさんみたり、出会ったりしてしまうのです。
繰り返しになりますが、、、僕は、どんな理論や考えであっても他人を傷つけるもの以外は否定はしません。。。
技法や素材に関しても同様です。
作家はそれぞれ、様々な理論や考え、スタンスを持って制作しています。
またそうした理論や考え、スタンスも、同じ作家のなかでも日々更新されていきます。
僕自身、数年前まで最新テクノロジーを自作に取りれるなんて考えもしませんでした。。。
だから、僕は一つの理論や考え、スタンス、技法、素材などを否定したり、論破して攻撃したい訳ではないのです。。。
誰一人として傷つけることもしたくないのです。
ただただ、それでは視座が狭いままで、あまりにももったいないので、僕はいつまでも、もっともっと口が酸っぱくなるなまで言い続けますね。。。
工芸というのは、もっと多角的に見た方が楽しいよって!!!
そして、もっともっと僕の知らない事を知りたいだけなんです。。。
中島らも大先生〜☆
最近のYouTubeのAIが僕の心をガシッと掴みきってるくらい秀逸なんだけど…☆
なんでか、やたら、中島らも大先生のドキュメントを色々とすすめてきはるっ☆
僕がリスペクトする人の中でも、同じ大学卒業というだけで、勝手に更に2倍リスペクトしてるのね。。。
こういう、なんちゅうか、中島らも型破滅的な生き方というか、ぶっ飛んだ生き方って、僕には出来へんから、憧れはさらにハンパないのですぅ〜☆
でも、なんか、昔(っと言っても僕のちょい先輩くらい)くらいの大阪芸大って、こんな中島らも型破滅的な生き方してる先輩ってたくさんいてたと思うんだな〜。。。
当時、大学いくの、すんげぇ毎日、楽しかったもんなっ☆
そんで、話は戻って、、、僕って、自分でよく言ってるけど、ちょ〜社会適応型人間で、アーティストというより、サラリーマン気質の作家なのです…良くも悪くも…。。。
自分では時にサラリーマンアーティストと名乗ってますが…笑
作品の作風からは想像つかないとよく言われますが、ほんと、ちょ〜真面目な優等生(自分で言うのもなんだかアレですが…)タイプ☆
だから、逆にこう言う破滅的な生き方に憧れて、トンガってた頃もあったけど…。。。
まぁ、そんなこんなで、前回書いたように、いよいよこの歳になり、親の介護生活もはじまり、自分の生き方、死に方を、さらに考えるようになりました。。。
例えば、カートコバーンが自殺した時の遺書に、「“It’s better to burn out than to fade away.”
(徐々に消えて行くくらいなら、いっそ燃え尽きたい)」という一節が書かれています。
これはニール・ヤングの名曲「HEY HEY, MY MY」からの引用であって、とても話題にもなりました。
自殺の良し悪しはさておき(まぁ、一般に良くははないでしょう)、しかしながら、長く生きていく事が自分自身にとって本当に幸せな事なのか、どう生きていく事が幸せなのか、そもそも幸せとはなんなのか、さらには、幸せでなければダメなのか…。。。
この、中島らも大先生のYouTubeをみて、生き方という事が、ますます僕にとって難問になり、沼にハマってしまいました…。。。
しばらく、抜けれそうにないかな???
いよいよ本格的介護生活スタート☆
自分のファミリーのプライベートを公開することに、かなり戸惑い、みんなとも相談しましたが、悩んだり、苦しんだりしてる人や、これから不安に思っている人に、少しでも「介護」というイメージを前向きにとらえて欲しいなっと、思い切って公開することにしましたっ!!!
タイトル通り、今年に入って母親が脳梗塞で倒れたのをきっかけに、無事に退院したものの、まぁ両親とも高齢な事もあり、いよいよ我が家にも本格的な介護生活というものがやって参りましたっ☆
いやぁ〜、介護って聞いただけで嫌ですよね。。。
ほんっと、最初は僕も、これから先、どうやって生活を組み立てなおすか、、、ネガティブな思いばかり、グルグルと。。。
たしかに、大変なことは山積みです。。。
あんまり詳しく書くと、家族みんなのプライバシーもあるので、あれですが、、、様々な介助やその他の諸々のケアで、、、まぁ、24時間、誰かが近くに居ないといけないような状況と言うところでしょうか…。。。
ここから先に書くことは、たまたま僕や、僕たちファミリーがラッキーだったからかもしれません。
だから、誰にも当てはまる事ではないと思うし、でも、実際に本格的に介護生活がスタートして、僕なりに、ちょっと介護に対して考えが変わった事もあったりと…。
また、まだまだ介護生活初心者だから、こんな事も言えるのかもしれませんが、介護にちょっとでも明るさみたいなものを持ってもらえればと綴ってみたいと思いますっ☆
僕には、弟がいて、僕は毎日毎晩ずっと介護生活に追われている訳でもなく、弟と僕と、うまいこと仕事分担やローテーションを組んで、僕が1人っきりで介護をしているという状況ではありません。
ましてや、弟がとても心強く、熱心な働き者で、、、僕は比較的、のんびり介護生活に携わってるという感じかな…。。。ありがたいね。。。ほんと。。。
そしてまず、ポジティブに大きく変わったのは、それぞれ、生活拠点や生活ペース、生活スタイルがバラバラだったそれぞれの家族が、例えば毎晩のように食事をみんなで同じ部屋に集まって、同じ時間に一緒に、いろんな話しをワイワイガヤガヤしながら楽しむようになったことっ☆
こんなのは、きっと小学生以来???
中学生の時でも塾とか部活で、すでに生活ペースもバラバラだったし、、、もちろん、思春期真っ只中、親なんてって、自分の部屋にすぐ引きこもってたしね…。。。
次に、弟と僕と共有LINEでその日の面白い出来事とか、介護に関係ない仕事やいろんな愚痴とか、ほんっと、しょうもない話題で笑いあったりとか、、、ちゃんとした介護の話ももちろん…。。。今までにないくらい、この介護生活をきっかけに毎日、頻繁にコミニュケーションをとるようになったことっ…。。。
弟とこんな話するのも、ほんと何年ぶりだろう、、、これも小学生以来かな。。。
そして、退院してから、まったく笑顔すら見せなかった母親が、とある介助をしている際に「プッ」ってオナラをして、その時に初めて母親が笑ったこと。。。長いこと笑ってなかったから、母親の笑い顔は引きつっていて、その顔をみてファミリーみんなで心から大爆笑したこと。。。
ただのオナラなんかで心から爆笑したのなんで、何年ぶりだろうか。。。。
毎日、介護をしていると、何かしらちっちゃなハプニングが起こります。
たいてい、普通の人からしたらちっちゃな、それもかなりしょうもないハプニングだったりするんですが、、、それをみんなが集まった時や共有のLINEで大爆笑したり、子どもかってくらい盛り上がったりするのです。。。
ちょっとした日常のそんなちっちゃな幸せみたいなのに気づくことができるようになり、あんな昔は尖ってた僕も、すっかり丸くなっちゃいました。。。
もう僕、作品にスタッズとか付けなくなるのかな???
それはないか。。。笑。。。
なんだろ、、、矛盾してるようだけど、、、介護生活が始まってから、心から笑うことが本当に増えて、僕自身がメンタル的にも癒やされているような気もするのです。。。
24時間×毎日という縛りがあるため、 ファミリーがそれぞれに、出来る範囲は限られてくるはずなのに、、、何故か逆に出来る事、出来る時間をお互いに無理をしてでも協力しあって、また他方でみんなそれぞれの生活スタイルを尊重する、不思議な協力体制ができあがっています。
そして何より、一番が、、、自分自身の死(良い意味で)につて考え直したこと。
死について考えることは生きることについても考えることにも繋がります。
もちろん、今年はコロナ禍の影響で、生きることについて、いままでと違う価値観を考える方々も増えただろうし、僕自身もそうでした。。。
さらに今回の介護生活が始まり、どう生きていくか、幸せとは何か、どう死んでいくか(もしかしたら急に明日、死ぬ事もありえるし)、、、、僕には子どもは居ないので、例えば長生きをしたときに、老後にどう生きていくか、施設で生きるのが幸せか、家で生きるのが幸せか、、、、長生きが果たして幸せなのか、、、などなど、、、問題はあまりにも多く、まったく答えのかけらも出ていませんが。。。。
でも、いまのところ、白黒はっきりしない、グレーな生き方というのもいいかな~なんて思ったりもしています。。。
そして死を身近に考えることで、今まで以上に、今、この瞬間というこという、二度と戻ってこない時間と空間を、体の第六感まで浸透させたい、、、そして深くその瞬間に潜り込みたい、、、(簡単に言えば、その時々を大切にしたいっというようなところかな。。。)と、より一層思うようになりました。。。
最後に、、、そうは言っても、やっぱり介護生活は大変です。
睡眠時間も激減します。。。
生活ペースも激変します。。。
自分自身の仕事にも大きく影響します。。。
生活拠点も移動の連続です。。。
金銭的な出費も補助はあるものの、やはり今までより、大幅に増えてしまいます。。。
なかにはメンタル的に辛くなる方も多くおられると思います。。。
ほんっとっに、マジで大変です!!!
だけど、僕は、自分自身を見つめ直すよい機会だったんだと思って、できるだけポジティブに介護生活を楽しんでいきたいと思ってます。。。
では、、、、もしかかしたら、いつかblogで介護の愚痴を書いてるかも。。。笑。。。
☆展覧会のお知らせっ☆
3月に伊丹市立工芸センターで開催された『本気のTシャツ展』、コロナのために途中で中止となり、2日間だけの幻の展覧会となってしまっていました。。。
がっ、、、しかっしっ、美術館の方々、また特にこの展覧会を企画されたご担当者の熱い思いとご尽力によって、なんと、『本気のTシャツ展 リターンズ!』として再度、復活しまっす☆‼️☆
ほんっとぉ〜っに、ありがたい事で、会場や日程、他の展覧会とのスケジュール調整、コロナへの対策など、様々なご苦労があったと察します。。。
コロナによって、予定していた展覧会が軒並みに中止となった僕にとっては、なんとも、感謝、感謝という思いしかありません。。。
そして、、、今回、特別企画として、「アーティストのハギレ」の販売も行われますっ☆
しかも、¥500ポッキリという☆
実は、僕の場合、僕の作品のハギレは一切、世に出回る事はありません。
これには、僕の作品の模造・偽造を防ぐため、またコピーライトの保護などなど、様々な理由から、僕はハギレを販売しないし、極ちっさなハギレも完全に管理しているので、世に流出する事はありません。
しかしながら、今回、この展覧会にかける美術館やご担当の方々の熱い思いや、今回のハギレ販売の考えに賛同し、初めてハギレを販売する事にしましたっ☆
将来的にはテキスタイル生地として、僕の布の販売も今後、考えようとは思っていますが。。。
とりあえず、僕にとって初の布(ハギレ)の販売ですっ☆
そして、、、なんと正直、ちょ〜原価割れの破格の大赤字で出してますっ!!!
アートや芸術作品に原価計算を適用するのは、まあちょい違うかと思いますが…。。。
それでも、なんで初のハギレ販売で原価割れ割れで販売するのか???
それは、予定していた展覧会が軒並み中止となり、このような状況下にある現在、展覧会を企画いただけるという『感謝』に尽きますっ!!!
っということで、会場は展覧会のスケジュールの都合でエントランスに移りますが、是非お越しくださいっ☆
『本気のTシャツ展 リターンズ!』
6月20日(土)〜7月5日(日)
10:00〜18:00(入館は17:30まで)
※月曜日休館
伊丹市立工芸センター 地下1階 企画展示室ロビー(入場無料)
特別プレゼント企画☆どど〜んと結果発表☆
『コロナのアホ!!!予定してた展覧会、軒並み中止になって、どうしようもないやんけ〜!でもな、お前らなんかに僕らの表現の場を全て奪われることなんか絶対ゆるさへん〜!だから僕のスーパー防御力マスク、プレゼントするねん企画!!!』
これから夏に向けて暑くなる時期、さらに暑苦しくなるような僕のマスクですが、とてもたくさんの方々にご応募いただき、ほんっとぉ〜に、ありがとございましたっ☆
とど〜んと当選者の発表ですっ!!!
厳正なる抽選のもと、下記の10名さまの当選となりましたっ☆
(※ご応募いただいた方々のお名前を紙に書いて箱に入れ、目隠しして選ぶという、今どき、ちょ〜古典的な方法で抽選させていただきましたっ)
では、当選者の方々、おめでとうございます☆
(※イニシャルは「姓.名.」の並びで表記してますっ☆)
M.K.さん(京都府)
I.S.さん(静岡県)
U.Y.さん(東京都)
I.H.さん(愛媛県)
S.H.さん(石川県)
K.M.さん(大阪府)
S.K.さん(兵庫県)
H.Y.さん(大阪府)
A.Y.さん(東京都)
O.M.さん(京都府)
今回、僕の思いに賛同いただき、また僕のこうしたワガママにお付き合いいただき、たいへん多くの方々に応募いただき、ありがとうございましたっ!!!
当選とならなかった方々、ほんとに、ほんとに、たいへん申し訳ありません。。。
企画をお知らせしたblogにも書きましたが、僕の場合、様々な要因で価格がとても高くなってしまいます。。。
【プレゼント企画募集のblog】
https://maekawa-kazuhito.hatenablog.com/entry/2020/05/17/134701
この状況下で、僕のプロダクトとしての価格で販売する事に、僕自身、まだ答えは出てないのですが、いろいろと悩み、こうした企画にさせていただきました。。。
今後、社会状況や価格など工夫して、もしプロダクト商品化できるようであれば、ぜひ、その機会にも、よろしくお願いいたします。
兎にも角にも、今回たくさんの方々に、僕の思いが少しでも伝えられた事、ご賛同いただけたことに感謝、感謝です!!!
人は危機に直面したとき、人間性がよりあらわになると言われます。
今回のコロナ禍の危機で、悲しいかな、多くの人の悪意が吹き出し、自分さえ良ければいいという買占めや特定の職業に就く方々への差別、嫌がらせなど、改めて露呈されました。。。
他方で、人の善意をもとにした、様々な支援や困っている方々へ物資など分かち合う思いやり、この状況下でも僕たちの生活を支える仕事に従事されておられる方々への感謝、日常や身近な人を大切に思う事も知ることができました。。。
SNSなどネットで誰もが自由に発言し、自分の考えを簡単に発信できるこの時代だからこそ、人の悪意が少しでも善意で抑えられ、善意で溢れる世界になる事を願っています。
(っと言いながら、僕自身、そんな聖人みたいな人でもなく…まだまだ悪意が抑えられない時もありますが…猛省…。。。)
少しでも早い、コロナの収束を祈って。。。
世界の全ての皆さんに『愛羅武勇(I love you.)』!!!